僕はずっとひとりぼっちという言葉の本当の意味を理解していなかった。
時折、任務で外に出ると母子が手を繋いで歩いている姿を見ることがあって、それを羨ましいなと思いはするものの特には欲しいとは思わなかった。他人と一緒にいることを気まぐれに求めたくなるものの、ひとりの方が断然楽だというのは変わらない信念だったので我慢することが出来ていた。
僕はずっとひとりぼっちだった。
けれどもそれを理解していなかった。僕はそれを普通のことだととらえていて、それが異常な世界があるだなんて考えにも及ばなかった。僕は、僕だけの世界の中で生きていた。
――「ロロ」「ロロ」「ロロ、」
今は、ひとりぼっちのとき目を瞑ると、兄さんの声が脳裏に浮かぶ。ルルーシュが優しくわらいかけてくる夢ばかり見る。僕が必死に五感全てを使って集めた兄さんの情報が僕の中で生きている。
僕は、誰かにやさしくされるのが好きだけれども、兄さんもそうだろうと思う。僕は、兄さんが僕にやさしくしてくれたらとても幸せになれるから、兄さんもそうだろうと思う。僕は、僕がして欲しいことを全て兄さんにしてあげたい。
兄さんはひとりぼっちだ。兄さんを愛す人は全て死んでしまう。僕はそれを悲しく思いながら、同時に安堵している。僕は、自分を最低だと思う。僕の中には矛盾する思いがたくさんあって、それは兄さんと出会ってから大きく大きく育っていって僕の中ではもう消化出来ないほどのものになってしまった。
これを、羨望と呼ぶのは違うのだろうか。嫉妬だろうか。兄さんのようになれたら――そんな風に思う僕も間違いではないけれども、僕は、みんなに愛される兄さんが誇らしい。僕以外に僕以上にやさしくするさまを僕は見たくないけれども、同時にこんなにやさしい兄を持った自分はなんてしあわせなんだろう!と叫びたくなってしまう。
兄さんに会って、ひとりぼっちの意味を知った。僕が自分では気付けなかったものを彼は見せてくれた。それがどんなものでも、どんな悲しみでも歪んだ気持ちでも自分を罵りたい感情でも、僕は、それら全てと共に生きていこうと思う。
兄さんと一緒にいたいから、はじめて自分から生きたいと思った。自分の命の存在を改めて認識した。僕にはこんなに可能性があったのだと、気付いた。兄さんと一緒にいれないときを僕は「ひとりぼっち」なのだと理解した。僕は兄さんといるとき、人間になれた。
ひとりぼっち、どうしてこれを悲しい言葉として僕は認識していたのだろう。僕にとってその言葉は兄さんと一緒に入れた一年を同時にあらわす、それはしあわせな日々のことだ。一緒にいれないとき、僕はそればかり思い出す。何度も何度も頭の中でリピートして逆に記憶がおぼろげになってしまうようだ。僕の心臓よりも、僕の頭の方が壊れないといいなと思う。
僕がもし死んだあと、僕のこの思い出は何処へ行くのだろう。僕の中に住んでいる記憶の兄さんは、僕の消滅とともに消えてしまうのだろうか。それとも、肉体は滅んでも魂は残る、って何処かの本の通りに僕は幽霊になってそれらをすべて記憶し続けることが出来るのだろうか。僕の命よりもたいせつな、優しい兄さんの記憶。僕の生きていた意味。僕が人間になれた理由。
何よりも大切なもの。
それとも、僕がもし死んでしまっても、兄さんはこれらをすべて僕の代わりに覚えていてくれるだろうか。僕が何度もそうしたように、何度も何度も頭の中で壊れた再生機のように何度も何度もくり返し僕との会話をなぞってくれるだろうか。自分がどれだけやさしく弟のロロに接したとか、ロロはあのとき笑ったとか、拗ねたとか、どれだけロロがしあわせだったかとか思い出してくれるだろうか。
でも兄さんには僕以上に大切なものが悲しいかなたくさんあって、だから、もしかしたら僕の思い出を辿る暇なんかないかもしれない。そうでなくとも、忙しいひとだし。思い出にふけるよりは頭をフル回転させて明日のことを考えるひとだと思う。僕の兄さんは前だけをしっかりと見据えて生きていける人だ。僕はそんな兄さんが好きだ。
だから、それを悲しいと思うのは間違ってる。
広い世界でひとり戦おうとしてる兄さんの傍にいて、それを悲しいと思い悩んでしまうのは間違っている。
僕は、ここにいた、と兄さんに思い出してもらえないことが悲しいのだと泣いて困らせるのは間違っている。
僕はまだ、ここにいるのだから。
何をすれば彼の役に立てるのか、何をすれば兄さんのしあわせになるのか、味方になれるのか、どんなに人に囲まれてもずっと自分を孤独だと思っている兄さんを限りなく深い暗闇から救い出せるのか、僕はそれを考えるべきなのだ。
僕は、僕だけのことを考える人間になったわけではない。僕は、兄さんを愛せる人間になりたいのだ。守って、傍に居て、兄さんのために戦う人間に。兄さんはナナリーの安全は計算できても、自分の守り方を知らないから、僕がその代わりをする。それが出来たらはじめて僕を兄さんはちゃんと認めてくれる、そんな気がする。
命なんて、たいせつなものじゃない。その命の中に入ってる記憶が大切なものなのだ。命をかけても守りたいと思うものは、僕にとって僕以上に大切なものは、僕の中の思い出だ。僕という存在が大切にされたしあわせな日々。――それ以上に兄さん。僕にそれをくれた大切な兄さん。僕に色々な感情を教えてくれた兄さん。僕人間になって僕人間になれてとても嬉しかった。嬉しい、という気持ちを持てて嬉しかった。矛盾した気持ちが苦しいことを気付けて僕は生きているのだと実感できた。心臓がいたくって、心がそれ以上に千切れそうで、それでも生きようともがいている自分が嬉しかった。生きてた、僕、ちゃんと生きてる。
それをどんなに否定しようと思っても、多分、出来ない。誰にも出来ない。僕が兄さんに出会えてどれだけしあわせだったのか誰にもきっと否定できない。生きててくれてありがとう兄さん。死なないで兄さん。兄さん。自分をこんなにも幸福にしてくれた人が失われることは考えられない。それはなんという世界の損失だろう。どんな人間が死んでも、兄さんが死んではいけない。兄さん以上に他人をしあわせに出来る人も、生かしてくれる人もいないだろうから。
ひとの命ははかりにかけることが可能だ。ひとの命にはそれぞれ価値がある。僕の命よりも兄さんの命の方が重いのは明白で、だから僕は笑顔で彼の命を誰よりも優先して生かそうとすることが出来るのだ。
強くて弱い兄さん。ひとりぼっちが一番嫌いな兄さん。なのにいつもひとりになってしまう兄さん。僕はひとりでも平気だから、慣れてるから、僕が兄さんを守ってあげるよ。あの日街路樹の下を歩いていた母子のしあわせそうな顔が蘇る。僕もきっと兄さんといるときあんな顔をしているのだろうと思うと、顔がにやけてしまう。家族――僕、兄さんの家族にちゃんとなれてるよね。ひとりぼっちじゃなくなって、僕は本当にしあわせになれたんだよ。兄さんとの思い出のおかげで僕はもう一生ひとりにはならないよ。




20080818『ひとりぼっち』