ロロに似た青年を雑踏で見かけた。一瞬にして鮮やかに思い出した記憶の中のロロの笑顔を目線で追って振り返って、人違いだったことに気付いた。ロロの髪はあんな赤みがかった色ではなくもっと栗色に近くてツヤツヤとしていた。華奢な肩幅の何処に人を殺す力を秘めているのかと不思議に思うほどの細い体を保って、彼は生きていた。――そうだ、いるはずがない。
「ロロは、死んだんだ……俺を、」
その後の言葉をルルーシュは紡げなかった。
ルルーシュはあの頃、人は裏切る生き物なのだと信じていて、信じていたからこそ最期の最後までロロが自分を庇って死んでしまうなんてことが信じられなかった。どうすればよいかわからなくて、ロロから目線を外せなくて、ロロが死ぬことを理解できなかった。もう少し、もう少しだけ早くルルーシュが色々なことに気付いていればもしかしたらロロは助かったかもしれないと思う自分がいることに苦笑するしかない。
ルルーシュが昔住んでいたイレブンの町並みはすっかり変わってしまっていた。ブリタニアのせいでもあるし、黒の騎士団のせいでもある。戦いなどなければ、誰も傷付くことなどなかったのだと終わってから気付くことしかできない自分がいる。
ルルーシュは昔、信じていたのだ。ルルーシュを裏切らない人間などいるはずがないと、心のどこかで頑なに思っていた。俺を信じろ、と語りかけながら目の前の人物が自分を裏切っても大丈夫なように作戦を幾通りも考えた。当然のことだと思っていた。作戦指揮はそうでなくてはいけない。不測の事態など起こっては有り得ないのだから、誰が裏切ってもいいように――裏を返せばルルーシュが誰も信じていないのだということに、彼は言い訳ばかりしていて気付けなかった。
なのに、裏切られれば憎んだ。どうして自分ばかりがこのような辛酸を舐めなければならない。俺が何をした、と叫んで、けれども自分もその人物を信じてなどいなかったことに蓋をした。
誰もが敵だったし、誰もがどうでもよかった。――ナナリーだけ、ナナリーだけがそんな暗闇に落ちていくルルーシュをこの世に繋ぎとめてくれた。
目が見えなくても足が動かなくても、何も憎んでいないように見えた天使のような妹。本当は絶望していたかもしれない、けれどもそんなことちっとも感じさせないで、優しくルルーシュをいつも本当は守ってくれてた妹。彼女がいなければルルーシュは生きていくことさえやめていたかもしれない。醜い感情をすべて彼女のように隠す術を知らずに表に出して、なのに自分を認めないものは全て敵だと声高に叫んで死んでいたかもしれない。ルルーシュは彼女がいたから、ナナリーだけを信じて生きていればよかった。
けれども、それだけではダメだったのだ。ナナリーと学園だけの世界ならそれでも許されたかもしれない。けれども同志を集め、黒の騎士団を結成し、人の命を配置するようになったルルーシュはそれだけではいけなかった。それに、彼は気付けなかった。それが敗因だ。
「俺は……嘘を見抜けない」
人の上にたつのなら、人の扱いに長けなければいけない。人の嘘を見破りなおかつそれを上手に誘導していく。――ルルーシュはその点が秀でていたけれども、同時に彼自身が他人を信用していなかったので大切な瞬間に大事な判断を下すことが出来なかった。
誰も信用していなかったから、ルルーシュは自分も信用することが出来なかった。ルルーシュ自身の目的は何だったのかを時がたつにつれて見失いそうになっていく。本当はもっと少年の頃に思い描いていたものは、スザクに言ったあの言葉は、純粋な思いにだけ支えられていたのにそれを思い出せなくなった。
『兄さんは、…嘘つきだから』
たったひとりの弟が死んだとき、ルルーシュはその言葉に何かを思い出した。決して失ってはいけなかったもの、大切にしなければいけなかったもの、裏切りを行っていたのは自分であり責められるべきは自分であり、けれどもそんな自分を大事に思っていてくれた人がいること。
嘘をつかれたことを、どうして自分は許せないのだろう。人に裏切られたから、どうして他の人も信用できないと思ったのだろう。ナナリーだけが味方なのだと、どうして優しい人たちに笑顔で言えたのだろう。好意に悪意で報いることしか出来ない自分をなぜ反省できなかったのだろう。
いつも、何かを犠牲にしなければルルーシュは気付けないけれども、人の死を犠牲にしてまで気付いたものを否定する力をルルーシュはつけてはいけない。
たった一年、兄弟として過ごした。その間、ルルーシュはロロこそを本物の弟だと信じて接したし、ロロもそれに応えてくれた。たとえそれが偽りだったとして、ルルーシュがロロに与えられたもの全てが嘘だったなんてどうしてルルーシュは思ったのだろう。何かひとつでも偽りがあれば、それは、自分に対する裏切りなのだと思い込む自分を情けないと思う。――思える、今なら思える。それは、ロロが命をかけて教えてくれたことだ。こんな情けない自分を、兄だと慕ってくれたロロの気持ちを自分は否定してはいけない。
――自分を信じてくれている人がいる。
たとえ、たったひとりでも大切にしてくれている人がいるのなら、自分は精一杯生きる意味がある。
昔、生徒会のみんなで休みの日に遊びにきたこの街。今は様変わりしてしまって、案内板を見ても迷ってしまう。ロロに似ていたと思っていた人は、人ごみの中に消えていった。よくよく見れば全然似ていなかった。
ルルーシュはロロのことなどよく思い出してみれば何も知らない。何処でどうやってあの歳まで何をして生き、何を考え、何を望んでいたのか、何も聞いたことがなかった。好きな食べ物嫌いな食べ物、それらはよく覚えている。家族として過ごした時間は短かったけれども、生活習慣を共有して知ったことは多かった。けれども、ロロが何を思っていたのかをルルーシュは知らない。もっと、話しておけばよかったと思った。もう一生触れられないものをロロは持って逝ってしまった。自分の何処を慕ってくれたのだろう、自分は上手に嘘をつけていたと思っていたのに、それでもうそつきのルルーシュに嫌われたくないと言ってくれた。そんな彼が疎ましかったこともあったのに、それでもついてきてくれた。まるで親鳥の後を追うヒナのようで、少しだけ可愛くて安心していた。情が移ったのだと思ったけれども、そうなのだと思うけれども、やっぱり大切な弟だと思っていたのだ。自分は、自分でさえ裏切って偽って、本心を隠してしまう。いつだって、ルルーシュはそうだ。自分の本心を知ることはどうしてこんなにも難しいのだろう。ロロはどうして、そんな自分の本当の心を掬い取ることが出来たのだろう。ルルーシュ・ランペルージとして過ごした時間をルルーシュが疎ましいと思っていることも本心だったけれども、同時に凄く楽しかったのも本当だったということを、嘘と偽りで塗りつぶして粉々になりそうだったルルーシュを、ロロは寸前で救ってくれたのだ。命も、心も、全部救ってくれた。自分でさえ裏切るルルーシュをロロは裏切らなかった。




20080822『卵のカラ』