兄さんはこの頃ティータイムによく蒸しパンを食べる。ふかふかのその中には時々レーズンや甘い栗がちりばめられている。
突然蒸しパンに目覚めたのは、兄さんではなく手作りする咲世子の方で、ここ一週間兄さんはふかふかで出来たてあったかな蒸しパンを、僕と同じ分だけ同じように食べる。けれども僕はその間中ずっと兄さんを見ているのに、兄さんは雑誌やニュースをチェックしながら今日の紅茶について考えている。僕と兄さんは同じことをしながらまったくもって違う個体として生きている。そろそろ摂取する体を構成する食べ物が同じになって半年ほどたつのだから、僕と兄さんは同じような生き物になっても良さそうなものだけれど、そこがよくテレビなどで扱われる生の神秘というやつだ、どこもかしこも似ていない。似る前兆すら見せない。僕は罰として自分の腕をつねってやった。
僕が兄さんに似ないのは、僕が兄さんと同じ遺伝子を持っていないせいだろうか。けれども本物の兄弟だってまったく似ていない同級生だっているし、人それぞれなのだろうと思う。それに僕と兄さんはそれよりも深い絆でつながっているのだし、遺伝子問題なんて目でもない。――とは、思いつつ、ちょっと気になる。
もし、僕が兄さんを摂食すればもしかして僕と兄さんは少しだけでも似るのだろうか。顔でも髪の色でも肌の色でも爪の形でも足の長さでも、性格でも、どれかひとつでも微かでもいい。何か似ているところが欲しい。同じものが欲しい。僕と兄さんがかけがえのない兄弟なのだという証拠が欲しい。
けれども兄さんにかじりつく、というのは――僕はチラリと横に座って、もしゃっと蒸しパンにかじりついた兄さんの歯のとんがり具合を見て、ひとり首を横に振った――僕の歯が兄さんを傷付けて痛い思いをさせてしまうのかと考えたら、嫌だなと思った。
大好きな兄さんにひとつでも嫌なことはしたくないし、もちろん痛い思いも絶対にさせたくない。たったひとりの兄さんだもの。肌を食いちぎられて、真っ赤な血を流して、痛いのを我慢している兄さんの顔に僕は想像だというのに涙が出てしまった。いけない。
じゃあ、僕が食べられてしまえばいいのだとひらめいた。
(たとえば、蒸しパンのなかみに僕がなって……)
蒸したばっかりのほかほかの蒸しパンはふわふわしていて、とても弾力があってなおかつやわらかで気持ちがいい。僕はそこに横たわる自分を想像してみた。
床はどんな豪奢なカーペットにも負けないふっわふわぽよんぼよんで、僕の体をやわらかく包む羽毛布団のような柔らかさで、僕はその中に挟みこまれる。僕は温かな蒸しパンの中で、兄さんの口の中にいれられるのをドキドキして待ちながら、あまりにもその中が気持ち良いのでうっとりと目を瞑って寝てしまうのだ。僕は、そのまま兄さんとネバーランドを飛び回って楽しい夢を見る。大小の金ぴかな星が空からいくつもいくつも落ちてきて、僕はそれに飛び乗って、両手を上げて飛び跳ねている兄さんの腕を掴んで一緒に宙を浮遊する。お城の周りをぐるぐる飛んで、その下には虹色の湖がある。森にはハートや花の形をした果物がなっていて、僕は兄さんにそれを剥いて『あーん』してあげる。空は紫から群青色、果ては水色に溶けていって、世界には二人だけ。兄さんは『こここそが素晴らしい国だ!』と叫ぶし、僕も同意する。ずっと一緒にいたいね、と笑うと、そうだな、と言ってくれる、そんな国――甘い甘い蒸しパンの中、僕はしあわせにひたる。そんな僕が次に目を開けたとき、僕の目に一番に飛び込んでくるのは僕の髪の色にそっくりな眉毛をした兄さんに違いない……




「…ろ、……ロロ?」
兄さんの吃驚したような声で我に返った。
「……額こすりつけて何をしているんだ?」
僕は持っていた作り立ての蒸しパンをおでこに押し付けて中に入ろうとしていた。僕は何でもないんだと笑う。兄さんは困ったように、そうか、と言った。
こんな風に優しく僕のことを案じてくれる兄さんを、少しでも食べてしまうなんてやっぱり僕には出来ないな、とうっとりと思う。兄さんのすべては兄さんにこそ所持していて欲しいし、欠けさせて欲しくない。だから僕はそれを誰にも渡さないように必死になろう。




20080904『蒸しパンのふかふか』


すみませんでした。
ロロがふかふかな中に包まれてスヤスヤ寝てたらいいなと思っただけなんです…。