「ルルーシュ、好きだ」
スザクの真摯な目がルルーシュを打つ、それはまるで心臓すらも同時に射抜いたようで一瞬呼吸が出来なくなるほどの衝撃をルルーシュに与えた。
それでもどうにか肺を励まして息を吸うと、とたんに乾いた笑いがこぼれ落ちそうになって、ルルーシュは俯いた。下を向くと涙がこぼれそうになった。
「俺は、…男だぞ」
(もう少し、もう少しだけ早く。たとえば、あと一年早く)
冗談めかしてそう告げても、スザクの瞳は揺らがなかった。いつだってそうだ、彼は真面目に真剣に言葉を紡ぐ。ひとつひとつの言葉を大切にして、だからいつだってちゃんと自分の中で決着がつかないとスザクはそれを言葉にしない。
「うん、知ってる。だけど、言わないといけないと思って」
「そうか」
(何もかも遅い)
スザクはもう一度『うん』と頷いた。
「嫌かな?」
「……どうだろうな。俺がお前と恋愛出来る出来ない以前に倫理観が邪魔をするな」
「そんなもんかな」
スザクがそっとルルーシュの髪の毛に手を触れる。
超合衆国との会談を控えた数日前の出来事だった。馬にのり、王侯貴族のような日々を少しばかり満喫していたルルーシュにスザクは落ち着いた言葉でそうやって告白をした。
スザクの手がルルーシュの顎にかかる。ああ、とルルーシュは思った。このままこの男に身を委ねるだろう自分を、反抗しないだろう体を、抗えないだろう心に巣食う寂しさをルルーシュは知っていた。ひとりではもう立ってはいけない。ルルーシュに残されたのはスザクだけだ。この男を失えば、名実ともにすべてを失う。ひとりきりで立てるほど、皇帝になったとはいえルルーシュは強くない。誰も、何も信用出来ないこの世界で、たったひとりきりの友人を失えない。
スザクはそれをわかっているのだろう。まだルルーシュが答えを出していないのに覆いかぶさるようにキスを降らした。唇に頬に瞼に眉に、もう一度唇に。滑るように首筋に。ずるい男なのは昔から変わらない。
(どうして、いつもこううまくいかないのだろう)
たとえば、もう少し早く、一年以上早くこの言葉を聞いていたのならルルーシュは喜んで受け入れたのに。それこそ『幸せ』を知り、ナナリーとスザクと三人、ブリタニアなどどうでもいいと生きていけたのに。
涙をこらえるように上を向く。スザクが肩元に顔を埋めているので首にかかる軽い栗色によく似合うふわふわした髪の毛がくすぐったい。
風を感じる。さーっと美しい野原を駆け抜けていく草花の匂いは、ほんの一時だけ、ルルーシュを皇帝から解放してくれる。ルルーシュは少しだけ迷って、スザクの背中に手をまわした。
こんな温かさを、自分はロロに与えられただろうかと、空を仰ぐ。白い雲は軽やかに流れて、アシュフォードに居た頃とはまた違う姿を見せる。日々変わる世界の中で、けれども学園の中切り取られた静かな楽園で、ルルーシュは記憶を失って大切な人々と生きていた。もしかして、それが一番しあわせだったのではないかと思うことがある。自ら望んでそれを手放してしまったけれども、だけど、あの頃に帰りたいと無性に願ってしまう自分がいる。昔、ナナリーと二人で過ごしていた頃、帰りたかったブリタニアの生活への渇望とよく似た思いだった。
何がしあわせだったのか、何を求めていたのか、ルルーシュにはこの頃よくわからなくなることがある。
ナナリーが死んで、すべてなくしたと思った。それでもいつの間にか道が開けていた。欲しかったときは手に入らなかったものが、転がり込んできた。地位が欲しかったのか、権力が欲しかったのか、世界が欲しかったのか、もう今では曖昧で区切りが見えなくてよくわからない。
そんなとき、よくロロのことを思い出す。
二人でランペルージ兄弟として生きていた頃が――もしかして、ルルーシュが一番ルルーシュとして生きていられた頃なのかもしれないとふとそんなことを思うことがある。感傷なのは百も承知だったが、今の頭がおかしくなりそうな人間関係とも呼べない人の波に飲まれて、その中にロロがいたのなら、と思い出してしまう。もういないのだから望んでも仕方ないのに、ロロなら、ロロなら、と。



(俺は、ロロが好きだったー……)


スザクにシャツの隙間から素肌を撫でられ、肩口まであらわにされながらそう思う。スザクが重くなってきて、そのまま尻餅をつくように草の中に倒れこむ。チクチクするが気にしていられない。スザクの足がルルーシュの足の間に入ってきて、股間を刺激する。
ロロに恋愛感情を抱いていたのを彼が生きていた頃に理解出来ていたかといえばそうではない。時折くる寂しさが時々ロロとキスをするルルーシュを作り上げただけだ。兄弟だったけれども、ロロの瞳がルルーシュを掴んで離さなかった。四六時中見つめられて、兄弟じゃないとわかってからもキスしたかったから体も繋げた。それだけだった。だけど、そうじゃなかったのだと今更ながらに思い出す。
たとえば、スザクがこうやって背中に首に手を這わせるとその度にルルーシュは少しだけ違和感を覚える。もう十年来の友達なのに、たった一年ちょっとの付き合いだったロロには感じなかった嫌悪感を感じる。
ロロの手はもっとルルーシュの中に溶け込んできそうだった。同じもので出来ていた。ロロの手はもっと優しくルルーシュの上を滑っていった。ルルーシュの手も、こんな風に所在無げにスザクの背中に爪をたてるだけではなかった。愛しくてたまらないというふうにロロの鼻筋を撫でて頬を撫でた。その体温を、今でも覚えている。なくしてから、鮮明になって、消せなくなって、どうしていいかわからなくなってきた。



ルルーシュのお尻を触っていた手が、一瞬ためらってから入り口をつついた。少しだけ浮かせられて、ルルーシュはスザクの首に手を回す。
「ルルーシュ、いい?」
「ああ、」
好きなようにすればいい、それが本音だ。けれども口には出さないずるい自分を知っている。興味がなくなってしまっていたけれども、スザクの汗のつぶが頭皮で光るたびに、でも別にいいかな、と思う。スザクも寂しさを飼いならせていないだけなのだと、漠然と思った。言い訳だと思う。
(どうしてだろう)
いつからだろう、人間を信用できなくなってしまったのは。ロロを唯一無二の存在のように感じてしまったのは。誰も信じられなくなってから初めて、その重さに気付いたのは、けれども――もう遅い。
ルルーシュはずっと見上げていた。自分の下半身にスザクがはいってくるときも、擦っては出て行くたびに体が前後に揺れて息が苦しくなって異物感に吐きそうになっても、スザクではなく、空を見上げていた。白い鳥がピーチクと囀るのを聞きながら、喘ぎ声を抑えた。青い絵の具を溶かしてそのまま広げた空の色に、スザクの温かさを感じながら、それでも天国の場所を、そこから自分はどう見えているのだろうと、見下されているだろうかと泣きたくなった。



このまま、ロロを好きになったように、スザクを好きになるだろうか。
さみしさに勝てない自分を飼い慣らして、生きていくことは不可能なのだろうか。

ロロといたとき、ただのルルーシュに戻れた。怒りも悲しみも人を傷つけて暴れたところも全部見せることが出来たのは、騙していたロロに対する復讐のひとつだと思っていたけれども、本当は違ったのかもしれない。甘えていたのだ――ただひとり心から甘えられたのは、ロロだけだったのかもしれない。
今のルルーシュにはそれをみせられる人間が誰も居ない。それとも、また、スザクがそうなってくれるのだろうか。幼い頃、見ず知らずの人間に囲まれて、知らない土地――イレブンに放り込まれて、たったひとり自分の味方になってくれた親友。――こんな自分を好きだと言ってくれる愚かな男が、ルルーシュを支えてくれるのだろうか。



毎晩現れるロロの夢は、いつも現実的にロロが死んで終わる。あの時と同じように息絶えていくロロ、ドロドロに溶けて恨み言をルルーシュに吐いていくロロ、一番笑ったのは『いつも見てるよ』と天使の輪っかをつけて真っ白な羽をはばたかせて空にふわふわ飛んでいくロロの夢。すべて都合の良いロロがルルーシュの中に生きていた。さようなら、そう言う勇気すら持てないから毎晩ロロに眠って会いに行く。それがどんな悪夢になるとわかっていても、深夜に必ず叫んで起きるとわかっていても、ロロの夢を見たかった。
ロロのキスは、スザクのように貪るようにされることはなかった。激しくて息もつけないこともなかった。いつもルルーシュの顔をあのまん丸の目で間近でオドオドと見ながら、そっと頬っぺたに手をつけてゆっくりちゅっとしてくる。ゆっくりゆっくり、溶けるように温かで、ルルーシュはそれに抗う術を持てなかった。拒否することもなかった。そういえば、一体どちらからキスをし始めたのだっただろう。はじめは兄弟のおやすみのキスだと思っていたから、全然気にしていなかった。とろけるように、あのまま――あのとき、いっそ溶けてしまえばよかった。全てナナリーのことすら忘れていた頃、あの頃、そのまま溶けて消えてしまえばよかった。



「ルルーシュ?」
「え?ああ……平気だ」



かけられた声にスザクを見ると、頬を彼の舌がなぞった。『しょっぱい』と呟く彼の言葉で泣いていたことに気付いた。
泣けばよかったのに。
(俺の前で泣いてしまえばよかったのに)
ロロも、そうやって泣いてくれればよかったのに。自分の中の優先順位すらわかっていなかったルルーシュの麻痺した心だって、もしかしたらそれで気付けたかもしれないのに。
いつだって手遅れだ。いつだって、終わってからしか気付けない。
きっと、スザクと体を繋げたことをこれからルルーシュは後悔する。今感じている抱かれている間の虚無感に対する後悔ではなく、もっと別な意味できっと死にたいくらい後悔する。けれどもそのときがこなければルルーシュには何が悪かったのかわからないのだ。
チェックをかけても、王手には届かない。そんな気分をずっとこれからも身内にしまって生きていくことは可能なのだろうか。
もし、生き返ったら、と思う。いいや、ロロが生まれ変わったら。ルルーシュも皇帝という地位すら全て忘れて、この広い世界のどこかで生まれ変わって、またナナリーと暮らしていたら。それでも、ロロは自分を見つけてくれるだろうか。世界で一番心を許せたのは後にも先にも彼だけなのだと、教えてあげることはもう出来ないけれど、もう一度生まれ変わってもルルーシュはロロに同じ信用を抱けるだろうか。
ロロの体はルルーシュと同じではなかったけれど、まるで化学反応でも起こすように指と指の先が触れ合っただけですら溶けていく感触がした。溶けてそのまま混ざってしまいそうで怖かった。それは、生まれ変わって身体が変わってしまっても同じだろうか。
人と人が信用しあうことに必要なものはなんだろうか。愛し合うのに不可欠なものは何なのだろうか。
ロロもルルーシュも家族が欲しかった。もし、生まれ変わって、しあわせな家族に囲まれて何もかもに満足していたら、今回その寂しさを誤魔化すために出会ったふたりだったとして、もう出会えないのだろうか。
そうなのだろうか。ロロとルルーシュはもう交わることなどないのだろうか。
いとしかった。今ももっと愛しい。もっと、ずっと一緒にいたかったと思う。笑った顔をもっとちゃんと見ておけばよかった。寂しくなったときに思い出すロロの笑顔のストックが切れてしまうなんてことがもう起きないように、もう一度、もう一度だけ見せて欲しい。



「泣かないで、ルルーシュ?」
「……大丈夫だ」
「どっか切った?ゆっくりやったけど、やっぱりダメだった、かな…?」
抱き終わられたからだがしんどい。スザクの腕枕はゴツゴツした筋肉のせいで首が痛い。見上げてる空の色は涙で滲んで見えない。もう何も見たくない。スザクが心配気な顔で覗き込んでくる。まぶたを閉じた。
鳥のさえずりが聞こえる。寂しさなんて、イってしまえば増すだけだなんてどうして気付けないのだろう。
(ほら、また手遅れだ)
「お前の告白は嬉しい。本当だ」
右腕で両目を覆って、真っ暗闇の中でスザクにそう告げた。スザクが訝し気に覗き込もうとするのが腕枕におろした頭を伝わってくる。
「……なら、よかった」
少し間が空いてからスザクはそう呟いた。――みんな、ずるい。




20080912『ダイアモンド』