白い翼はまだまだ羽が足りない。ロロは自分の背中からふわふわと生えてくる羽毛を一房つまんで溜め息をついた。



傷つけることも奪うこともこんなにも簡単だったのに、与えることも守ることもこんなに難しい。
なのに、ロロに無条件でたくさんのものをくれたルルーシュを、彼は尊敬している。
さすが僕の兄さんだ、と呟いてみたところで、一瞬自分が誇らしく感じられるだけで、何も変わらない。
ロロはルルーシュとは本当は赤の他人で、こんなにもこんなにも好きで大好きで憧れていて尊敬もしているのに、赤の他人で、なのに兄弟で、どんなに頑張っても恋人にも親友にも友達にもなれなくて、兄のお荷物にしかなれない弟なのだ。
一生懸命、彼の役に立ちたいと思った。兄を尊敬している、だから彼のようになりたいし、ルルーシュが喜んでもらえることを必死でしたい。
何でもいいから、ひとつでもいいから、彼のためにしてあげたいと思っていた。
それって、愛なのだということをロロは結局知らないままだった。
本当はもうずっと、愛を、ルルーシュに注いであげていたことを知らなかった。
孤独だったルルーシュを、支えていたことを、本当はルルーシュにとってとても大切な存在になっていたことを、それよりも彼の頭の中は愛ゆえにルルーシュへの心配と不安が支配していた為気付こうとすることが出来なかった。
誰かが何かを守って、誰かが何かを奪って、それのくり返しを行う世界を、憎んでいたのは彼の兄だった。ルルーシュが望んでいた世界は、ロロのいない世界なんかじゃなかった。足し算と引き算を際限なくくり返し、それでも明日へ繋がっていく世界を、ルルーシュは望んでいたけれども、本当は止めることも望んだのだ。



「僕は、間違ってたかな……」
雲の端っこから体を乗り出して、ロロは下界を見下ろす。
シャーリーが『危ないよ』と苦笑しながらたしなめた。この間もそうやって落ちそうになったロロを知っている。ロロの翼はまだきちんと生え揃っておらず、下へ落ちてしまったら戻ってくるのに相当の時間がかかるはずだ。けれども、ロロはそれを知っていてやっているのではないかとシャーリーは薄々勘付いていた。
生きていた頃から、ルルーシュ一番のロロだった。いつも生まれたてのヒナのように後ろにつきそう弟に、ミレイ会長がからかうつもりで『そんなに好きなの』と投げかけた言葉に、てらいもなく『はい』それが何か、と返したロロ。にっこりとした可愛い笑顔は彼の兄だけのもの。そつなくなんでもこなす様はルルーシュそっくりで、穏やかで柔らかな表情を絶やさないくせに他人との間に壁を作るのも兄そっくり。駄目なところが似たものね、と誰も口に出さなかったけれども二人を眺めながらみんなそう思っていた。
だから、ロロはもしかしたらこのまま下界に落ちてしまいたいのかもしれない。羽が生え揃っても、下界に行くことは禁じられている。肉体という鎧のない魂に、下界はあまりにも危険すぎる。少しの憎悪にもあてられてしまうし、空気も悪い。
それでも兄の傍に行きたくて年がら年中、ロロはそわそわしている。
シャーリーだって、ルルーシュの傍に行きたい。けれども魂となったこの体がそれを拒否するのだ。本能のようなものが決してそれを許さない。だからシャーリーはこの先下界に降りることなどないだろう。どんなに会いたい人がいても、それはしてはいけないことなのだと、シャーリーの何処かがわかっているのだ。それをシャーリーも受け入れている。
けれど、ロロはそうではないようだ。シャーリーがいくらたしなめても、上の空で雲の下ばかりみている。そして時々故意に落ちようとする。
「紐なしバンジーを見ている気分……」
「え?」
ロロはシャーリーをこの日はじめてちゃんと見て、瞳をぱちくりさせた。
「何でもない。ロロは、ルルーシュのためなら何でもするんだね」
言ってからしまったと思って、口を押さえる。ついうっかりと口を滑らせた。ロロはけれども何事もないように頷く。
「僕、兄さんの弟だもの。役に立つなら何でもしたいよ。毎日、兄さんのためにお祈りしてるし」
少しでもしあわせになれますように、って、とロロは笑う。きちんとした階級を与えられた天使ならば人の願いを叶えてやることも可能だが、シャーリー達新米者にそんな力はないから、本当に毎朝のお祈りのついでのようなものだろう。
「僕は、死んじゃったからもう何も出来ないけど、少しでも何かしてあげたいから」
「ルルーシュが好きだね」
「世界で一番好きだよ。でも、そうだなぁ、僕もう少し生きれればよかったのかもしれない。僕、死んだら何も出来なくなるなんて思いもしなかったんです」
「うん」
「僕、死んでからの方がとっても弱い。僕、もっと何かしてあげたかった」
「気持ちだけで、充分だよ」
「でも、形にしたい。兄さんがくれたように、ちゃんと返したいんです。僕、それだけのこと出来なかったから」
「くれたものをそのまま返すのが、良いお返しってわけじゃないでしょ。たとえば、プレゼントを貰って嬉しかったからって、同じものを買って返すの?違うでしょう。自分が相手のことを考えて返すよね。それと同じじゃないかな」
「僕……そうだね、でも、喜んでくれたかわからないんだ」
ロロは困ったように眉を八の字にさせた。
こちらにきてからのロロは良い意味で角がとれたのか、シャーリーにもよく自分の気持ちを話してくれる。その分、シャーリーも自分の気持ちを垂れ流している気がするが、そもそもこっちとはそういうものなのかもしれない。魂同士のぶつかり合いで、本音が肉体のときよりも伝わりやすい。
ロロの兄のために悩むその顔を可愛いとシャーリーは思う。昔飼っていた子犬に似ている。
「ルルーシュの気持ちなんて、ルルーシュ以外にはわからないよ」
「兄さん以外になんてわかるはずないよ!兄さんはすごいもの」
「でも、ルルーシュが嫌いな人はわかるよね。ルルーシュって苦手な人を避ける傾向があるもの。前、喧嘩した隣のクラスの子と未だに目も合わせないし」
「そうなんですか?」
「そうだよ。どうしようもない男だなぁ。ふふ。思い出しちゃった。……ルルーシュは、本当は素直だと思うよ。うん。私も、わからなくて不安だったけど、でも、嫌われてはなかったと思う。ロロなんか好かれてたと思うけどな」
「本当に?」
「ウソなんか言ってどうするの」
シャーリーの言葉にロロは少しだけ考えたように下を向いた。それから、小さな声でシャーリーに尋ねてくる。
「兄さん、僕のこと少しでも役に立ったと思ってくれてるかな。僕と一緒にいて楽しかったと思いますか?」
ロロの白いふわふわの翼はところどころ黒色の羽が生えている。その人の罪の証なのだという。白い羽は魂を飛ばせることが出来るけれど、黒い羽は魂を地獄へ連れて行く――と、ここら辺ではもっぱらの噂だった。
ロロの過去は知らないけれど、ロロは、精一杯自分のルルーシュへの愛を貫いたのだと思う。本当に兄弟ってよく似るのだなとシャーリーは笑った。
シャーリーの好きだったルルーシュも、自分の言葉を最後まで貫く人だった。そして、いつも妹に弟に気を遣って精一杯大切にしていた。
けれど他人の機微を見抜くのは苦手だと一度シャーリーに漏らしたことがある。ロッカーに入っていたルルーシュ宛のラブレターを見て心底困った顔をしていた彼を見つけたシャーリーは半ば嫉妬もあってからかってやった。憮然とした顔でルルーシュはラブレターを眺めていたが、溜め息をついてどうすればいいのだろうと呟いた。そこにロロが来て、それを見るとすごい形相で兄の手から手紙を奪うと『僕が注意しておくから』と部屋を出て行ってしまった。ルルーシュは困ったように言った。『ロロに任せておいてもいいと思うか?』シャーリーは答えられなかった。差出人の女の子の気持ちを考えると、それはあんまりだと思ったけれど、シャーリーはロロの気持ちの方がよくわかったし、実際嫉妬の方が勝った。曖昧に首を傾げて苦笑するにとどめた。ルルーシュはそれからしばらくそれで悩んでいたようだ。
ロロは、兄のための行動と、自分の嫉妬が起こす行動の区別がついていないように見える。すべて『兄のため』という言葉で片がつくように見えるけれど、それは『自分のため』とセットになっているときがあって、そしてそれが行き過ぎることがよくあった。
ロロは兄のためと言いながら、自分の欲に正直になってしまうことが多々あって、それはルルーシュを傷つけることになるのだと気づけなかった。
「……ロロ、それはルルーシュにしかわからないよ」
「?」
「ルルーシュが、どう思ったかなんて、ルルーシュ以外にわかるわけないんだよ。だから、ルルーシュが、もしね、ロロの気にそぐわない答えを返してきたときは、それは多分ルルーシュの本音なんだよ。ルルーシュって頭いいでしょ。他人を傷付けないように気を使う人だと思うの。そんな人がね、相手を傷付けないようにって嘘を言ったからって、それは責められないし、もし本音を言ったときは相手のこと本当に信用してだと思う」
シャーリーの言葉に、ロロは不思議そうな顔をしている。
「ルルーシュが自分といて楽しかったか、って、それは誰のために聞いてるの?純粋にルルーシュが楽しかったらいいな、ってロロが思ってるの?それとも、ロロが嬉しくなるために、ルルーシュが楽しかったらよかったな、って言ってるの?少しの言葉の違いだから、上手に説明できないけど、もし、ロロがね、ロロのためにルルーシュのしあわせを願うならそれはやめた方がいいよ」
「そんな……」
「偉そうなこと言うけど、私もそうだったから。私も、ルルーシュの重みになっちゃってたから。ルルーシュひとりに寄りかかってちゃ、耐えられないよ。ルルーシュがお父さん殺したゼロだってわかったとき、何で私の好きなルルーシュが、って思ったの。それってしょうがないことだと思うんだ。恨むのも、正当化するわけじゃないけど、でもやっぱり親の仇って言うのかな、だからしょうがないと思うんだ。だけど、でも、私が勝手にルルーシュを好きで、ルルーシュに期待して、ルルーシュの個人にも願いがあるなんてこと考えもしなかったから、――ルルーシュにとって長い間この世界は敵だらけで、お父さんのことは許せないけど、でも私はそんなルルーシュが好きだったはずなのに、そういうことには全部目を背けたの。私が好きだったルルーシュをルルーシュが演じてくれなきゃ、私は彼を見ようともしなかった。ゼロを煽ってた人たちだって同じ。ゼロが自分の思い通りにならなきゃ、すぐに離反したりするの。みんながみんな、ルルーシュに自分の偶像を押し付けて、そうしたらルルーシュだってつらいじゃない。だから、そういうのもうやめようって思った。私――ルルーシュが好きだから」
シャーリーはロロの手にそっと自分の手を伸ばした。一瞬びくりとしてロロはシャーリーを見上げる。
「ロロ、私、ロロも好きだよ。ルルーシュのこと一生懸命慕って、私の出来ないこといっぱいルルーシュにしてあげれて、素直で、優しくて。ロロの弟じゃなくて、ロロとしてお友達になりたいの。ロロと一緒にいるときのルルーシュの楽しそうな顔、私、すごく好きだった。あの顔ってロロの前でしかしないんだよ。ロロはいつも見てるから気付かないだろうけど。だから、見せてくれてありがとうね。生徒会、楽しかったね」
シャーリーは幸せそうにふわりと笑った。ロロは白い女の子の手を見つめた。ロロはルルーシュのどんな顔が好きだったんだっけと思い出そうとして、フラッシュバックする顔すべてが好きだったなあと思った。
ロロはルルーシュといる時間がすごく楽しかったから、同じ気持ちをルルーシュに持って欲しかった。だって、すごく幸せな気持ちだったから。これ以上ないってくらい、この世界に生まれて本当によかった嬉しいなあと思えた気持ちだったから、それを好きな人にあげたかった。ルルーシュがつらいところで生きていたのをロロは知っていたから。
「……僕、空の上にこんなに星が輝いてるなんて知りませんでした」
ロロはシャーリーの手を握り返すと、上を仰いだ。
空の上は宇宙だと漠然と思っていた。けれど、空の上には空が広がっていた。足元には青空が広がって、頭の上には星空が広がっていた。
「いつか、飛んでみたいねえ」
星の間を自由に飛びまわれる天使たちがいるのも知っている。彼らの羽はふわふわで、ときおり黒が混じっている者もいた。
「僕、黒色が混じってるけど、飛べるかなあ」
「飛べるよ。ダメだったら、みんなに支えてもらえばいいよ」
「……はい」
「それで、もっとおじいちゃんになったルルーシュが来たら、そのときは私達が杖代わりになろうね」
ロロは笑った。兄の老けた顔なんて想像も出来ない。もっと傍にいて、そんなルルーシュも見てみたかったと思う。
ふたりは自分の翼を引っ張ってみた。ふわふわしていて、それはまるで今の自分の気持ちのようだと思った。それはルルーシュが与えてくれた優しい気持ちだ。今ならきちんと素直な気持ちを彼に伝えられるだろう。いつかルルーシュがこちらに来たとき、胸いっぱいのありがとうを伝えたいと思った。





20080929『in my night』