何処にいたって、何をしていたって、兄さんの愛を感じていたいと思うのはロロの勝手な自己満足でしかない。彼が疲れているとき、泣いているとき、それでも愛してくれと言うのはわがままでしかない。愛は永久不滅だと言うけれど、人への思いやりの上にそれが成り立っているというのなら、兄さんが辛いとき、ロロはそれをもらえる確証などないのだ。
だから、昨晩キスをしようとしたロロが突き飛ばされたのは、しょうがないことなのだとロロは自分を慰める。兄さんが自分を嫌いになったわけでも、愛が尽きたわけでもない。兄さんは今、自分のことで精一杯なのだ。ロロに心を割く余裕がない。
(だけど、それは、愛していないことと同義なんじゃないか?)
つらいから相手を愛さなくても思いやらなくても、いいのか。本当に兄さんはロロを愛してくれているのだろうか。何でもいいから兄弟愛でも恋人同士の愛してるよでも神がくれる隣人愛でも何でもいいから『愛』が欲しかった。一度触れてしまったものをもう手放したくないと思った。やっとわかった言葉を、理解できなくなる自分が嫌だった。愛して欲しい。兄さんに、愛して欲しい。そのためなら何でもロロはするのに、それをわかってくれない兄が恨めしい。
(いっそ、殺してしまおうか)
可愛さ余って憎さ百倍という言葉を聞いたとき、ロロはまた自分の中に言語が現実感を伴って蓄積されたのに気付いた。兄さんがこちらを見ているとき、ロロは世界で最高の満足感を手に入れることが出来たのに、兄が何処か別の方向に視線を数ミリでも動かしたら死にたくなる自分に耐えられないと思った。そんな思いをさせる彼が大嫌いだった。
どうして、世界には兄さんとロロの二人以外の人間が蠢いているのだろう。その誰もがロロとロロの最愛の人を邪険にして憚らない。
もう駄目かもしれないと思うことが増えた。前はそんなこと頭の端にも浮かばなかったのに、今じゃ日常茶飯事に頭痛がする。それは生きることに対してもそうだし、眠れない夜に蘇る冷たい兄の姿に思うのだし、泣いて真っ赤になった目が痛くて目薬を探してるときに思うのだし、とりあえず自分は世界の端っこでやっとバランスを保っているのに過ぎないのだという幼稚な考えに支配されて思う。
兄さんのあの自信満々な姿に魅かれるのは、ロロ自身が何も持っていないせいかもしれない。ギアスですら欠陥品で、本当の名前はとうに忘れた。元々どうでも良かったものしか持っていなかったし、どうでも良かったものですら失くしてこの体ですらいつ壊れるかわからない。命ですら兄に捧げてしまったから、ロロのものは本当に何もない。けれど、捧げたその命が兄さんのものであるということがロロの密かな誇りであった。
「兄さん……今日は、どうだったの?」
「中華連邦のやつら、見え透いたことを……」
憎憎しげに呟く兄さんは心底疲れきった顔をしていて、ロロはけれど兄さんに手を伸ばした。会えなかった時間のぶん人恋しさが募る。どうしてだろう。たった一日――しかも朝にはちゃんと顔を合わせている――傍にいなかっただけだ。なのにこんなに触れたかっただなんて。
頬に指先があたった瞬間にぴくりとどちらの体も反応を示した。ロロは緊張する指先をなだめてそのまま顔を近づけた。
「やめろ」
低い声で呟かれて、体が凍る。
兄さんは心底うんざりした顔を伏せて、今日は疲れてるんだ、と繰り返した。
それでも顎を掴んでロロの方を見させて再度口付けようとしたロロのワガママな体は、兄さんによって弾かれた。両手で胸を心臓のあたりを押されて、軽くロロの体はよろけた。一瞬呆然としたあとに心臓が痛んだ。ギアスを使っていないのに、痛かった。
「おやすみのキスも?」
「ああ。出てってくれ。ひとりにしてくれ」
あんまりだと思った。ひとりぼっちにされた一日。兄さんは携帯でマメに連絡を取るほうでもないし、ロロからのメール三通に二通は無視だ。それでもロロは兄さんの愛をこんなに欲してるのに、兄さんはそれをただ疲れたという理由だけで放棄するのだ。さも簡単に要らないと手放すのだ。名前も満足にわからない同級生たちの恋人は毎日何十通もメールしてくるし、おはようもおやすみのメールもしてくる、と自慢そうに仲間内で話していた。してくれないときは怒るのだと言っていた。――ロロも、怒っていいのだろうか。あんな会話を聞いたときはどうして好きな人に怒れるのか不思議だった。それまでの好意だったんだろうと鼻で笑ったロロが確かにいた。けれど、ロロは今無性にルルーシュにそれら全てをぶちまけたかった。
けれど、押した兄さんの両手がロロの体から離れた瞬間にそれら全てをロロは放棄した。所詮兄さんに怒鳴る資格などロロは持ち合わせていない。元々対等などではないのだ。独占したいと思いはしても、独占する権利を持ち合わせていたとしても、それを行使して嫌われたらどうしようと思う。
一瞬兄さんの首に手をかけようと思って、やめた。この人の愛がなくなれば自分の生きる価値などなくなってしまう。
そこで気付いたのだ。ああ、ロロが愛を欲していたのは何もかも自分のためだったのかもしれないと。自己愛。愛してくれればそれで良かったのだ。世界で一番好きな自分を愛して欲しかった?
違う、誰でも良かったわけでも、ルルーシュ以上に自分が好きなわけでもない。もちろん、ロロはロロのことを嫌いにはなれない。兄さんにだけ愛されていたかった。それは自己愛だろうか。違うだろう、それはただ単に自分が兄を愛している証拠だ。
(僕は兄さんが好きだ)
だから彼がもし疲れていて自分以外どうでも良くなって、ロロのことも何でもよくなってしまっても、ロロは怒る気にも愛想を尽かす気にもなれない。ロロのことが好きなルルーシュが好きなのも事実だが、それ以前に兄が大好きだからだ。
何処にいたって、何をしていたって、兄さんがロロのことを好きな保障はどこにもない。けれどロロにはある。何をしていたって、何処にいたって、ルルーシュのことを愛してしまうだろう自分に気付いている。それがつらくったって、本当は消してしまいたくたって、自分を優先したくったって。




20081013『ダイブ』