殺そう、と思ったことなど、なかった。 殺さなければならない、と思ったことは、あった。小さな頃、それは与えられる折檻を想像してだったし、ある程度成長すると命令をこなすことは当然のことになったし、もう少し成長すると嚮団のために、だった。洗脳されていたのだとしたらそうだったと思うし、今も特にそれを変だとは思っていない。洗脳と言うのなら、日本だジャパンだと騒ぐイレブンや、元々は他の国だった人間達もそうだし、ブリタニア人も総じてそうだ。人間はいつの間にか洗脳されてそれだけが普通なのだと思っている。死ぬまでそれは解けないかもしれないし、解けたとしても新しい洗脳をその身にかぶったときなのだろう。 ロロは兄の洗脳にかかったし、それを嫌だとは思わず甘受した。 それで時々思うのだ。兄は何に洗脳されているのだろう。彼の脳を溶かして占有していることは何なのだろう。それを知れば、もっと兄を知れるような気がしていた。 シャーリーの目は優しかったけれど、怖かった。何を考えているのかわからない柔らかな瞳。ロロは恋する女の子、というものに初めて会ったのだ。キラキラするあの目を覗き込んで話すルルーシュが怖かった。いつかシャーリーにバカみたいに乗っ取られてしまうのではないかと制服の裾をぎゅっと握り締めた。どうした、とルルーシュが振り返ってほっとした。 ひとは、すぐに他人から影響を受ける。ロロだって、――一生変わることなどないだろうと思っていた自分自身ですら――変化してしまったのだから、兄も変わってしまうかもしれない。怖い、怖い、怖い。それは自分の力では抗えないのだから洗脳、ということばでロロは表すのだし、どんな人間に関わっても兄にはあのまま変わって欲しくなどなかった。けれど世界は広く、途方もなく色々な思考を持った人間が存在するのだ。 記憶が戻ったとき、ロロは震えたものだ。優しかった兄の中で芯となるものが何か変わってしまった。それらは露骨に態度に言動に出たし、ロロはひやひやした。 兄のように自我が強い人でも、ころり、と何かは変わってしまうのだ。 殺そう、と思ったことなど、なかった。自分の意志で誰かを殺したいだなんて思わなかった。殺さなきゃ、殺さなきゃ、僕が恐い場所に追いやられる、だなんて、強迫観念に駆られたことなどなかった。遠い昔、先輩と呼んでいた人はそれで死んだ。血に溺れて、最後は発狂した。嚮団の仲間はふーんとそれを見ていた。ロロも別に何とも思わなかった。弱い人間には総じて興味がなかったのだ。けれど嚮団には強い人間などいなかった。それが普通だった。 普通じゃないところに行って、初めてすべて普通じゃなかった洗脳されていたのだと気がついた。けれど、普通じゃない、と理解したところの普通はまた普通ではない。普通はいつだって普通じゃなくて、ロロは頭を抱えたくなった。 シャーリーの優しい瞳のその奥に、引っ張られそうになるたびに、怖くなった。兄もきっとこの瞳に引っ張られていつか自分の普通を変えてしまう。そうしたらロロの普通もまた変化する。兄が好きだ、死ぬほど好きだ、だから怖い。怖い、助けて欲しい。 |
20090223『誘惑』