僕がこの世で一番欲しい言葉は、多分もう一生これからも手に入ることはないのだろうなと思う。
たった一言、『好き』『愛してる』『生きろ』そのどれでもいい、どれでもいいから心の奥底から僕に向けてたった一言そう欲しい。誰も言ってくれなかったから、とても欲しい。
欲は出てくると、いくらでも出てくる。出来るならば兄さんに言って欲しい。三つのうちひとつでいい。だけど、ウソなんかじゃなくて、気まぐれでもいいからただ一度だけちゃんと僕の目を見て僕が恥ずかしくなってしまうほどの真摯さでそう言って欲しい。そうしたら僕はもう何ものにも囚われずにこの世に何の未練もなくただの武器になってあげるよ、とそう心から思う。
僕のものなんて何一つなかったように思う。僕のこの心だけは僕のものだと思っていたけれど、とうに兄さんにあげてしまっていたんだ。僕のちっぽけな世界の中心で主人公を演じるのはいつの間にか兄さんになってしまって、僕はただの脇役になってしまった。ヒロインになれるわけでもなく、ただ、ただただ、兄さんと準主役を狙う人間達を見守るだけの脇役。その中に入れないのはそれが僕の世界だからだ。誰も、僕を瞳に映してくれないからだ。狭いブラウン管は僕の瞳の中。僕は、僕を映せないのでいつも僕はフレームアウト。名前だけが無意味に画面を横切る。
だから、僕の瞳を真剣に覗き込んで逸らさないでたった一言、主人公である俺の中で君はやっぱりとても重い存在だったよ、と言って欲しい。その瞳に映っていて、兄さんの世界にもちゃんと僕は登場していたのだと、僕にそう言って欲しい。
好きでいることは、挫けることを許されないことだ。ヘマをしてしまえば、嫌われるかもしれない。弱い自分なんか見せられない。誰にも悟らせない。たとえどんなに辛くても、相手のことを優先させてしまう。それで疲れてしまって、疲れてしまって、それでも許されないのだ一生。
兄さんを好きになってしまうことを、僕は不幸に思う。けれど、兄さんを好きでいながら傍にいられることを幸福に思う。泣きたいくらい、幸福に思う。はじめて世界を自分のために変えたいと思った。誰のためでもなく自分のために、一生懸命何かをしなければならないと思った。
だから、もし、僕が少しでも兄さんの世界に登場できたのなら、僕を認めて欲しい。僕という人間が、普通の人間に許されたただひとつの対等だという言葉の本当の意味を、僕に教えて欲しい。そんなものはまやかしじゃないと、偽善から出た言葉ではないと、僕に僕のためにたった一瞬――兄さんの長い一生の中のたった一瞬だけをもらいたい。そうだよ、もう僕は兄さんを殺すことを諦めたよ。
僕は、もしかしてその言葉をもらえるかなと少しだけ期待してた。
でも、さっき気付いた。兄さんにその言葉をもらうことを僕は拒否している。僕は、そんな言葉欲しくないのだと気付いた。欲しいけれど欲しくない。本当は欲しくない。怖いから、欲しくない。
好きな人にそんなことを言われたら今度こそ僕の世界は崩壊してしまう。僕は、僕を維持できなくなる。兄さんのためだけに世界を組み立てなおすには、僕は、僕が好きになりすぎた。僕の小さな世界を兄さんだけでいっぱいにしてしまえば、僕は身動きが取れなくなってしまう。兄さんに嫌われたら、という思いがもっともっと広がって、僕の世界は兄さんに嫌われたくないがためにがちがちのこちこちになってそのまま窒息死してしまうだろう。
僕は、兄さんが好きだけれど、兄さんは僕を好きになってほしくない。
勝手な勝手なことを言ってるとわかってるんだけれども、僕は、僕の世界をちっぽけな世界がやっと僕の方を見てくれるかもしれない、そこに希望を持っているだけなんだ。もしかして、僕はこれを証明したいがタメだけに兄さんを好きになったのかなと一瞬不安になったけれども、僕はでもやっぱりそんなの抜きにして兄さんを毎日毎秒見つめているので、そんなことはないのだと思う。
純粋にただ、好きなだけ。
ただ、純粋に兄さんからの言葉を望めないだけ。
兄さんの世界は誰を主人公にして回っているのかな。誰の言葉を純粋にその胸に受け止めているのかな。僕が兄さんを見つめているように、兄さんも誰かを見つめてるんだろ?兄さんの瞳に映らない僕を見ると悲しくなって、わらいたくなる。
どうしても欲しかったのに、その言葉をどうしても欲しいのに、それをもらったらきっと忘れてしまうんだ。何が欲しかったのか、何を求めていたのか、きっと『好き』や『愛してる』にかき消されて僕は僕が一番欲しかったものを忘れてしまう。やっと、僕が僕のためだけに見つけた小さな世界でたった一つだけ欲しくなったものをいくら兄さんでも渡せはしない。――それとも、そんなものどうでも良くなるのだろうか。兄さん以外やっぱりどうでもよくなってしまうのだろうか。




20080707『隅で踊る僕を見るひと』