「『オ兄サマ』」
「もう一度」
「『お兄サま』」
「もっと自然に出来ないのか?」
彼はその言葉に、少しムッとしながらそれでも繰り返した。
「『お兄さマ』『オ兄サま』『お兄ィサマ』」
「……あと五十回、繰り返して。ちゃんと、イヤホンから聴こえる音を正確に拾うんだ」
そう溜め息をつきながら言うと、彼の目の前にいた嚮団構成員の男は白いタイル部屋から一人出て行ってしまった。
それでも密閉された部屋の中で少年は、言われた通りに何度もひとつの単語を繰り返す。少年がサボったりすれば、部屋の中にあるカメラでそれは筒抜けだったし、第一彼は命令に背く気などなかった。ただただ息の詰まる正方形の部屋で、パイプ椅子しかないその部屋で、ぽつぽつ五十回それを繰り返す。
男は自然に出来ていない、と言ったが、イヤホンから聴こえる音はナナリーという女の子のものだった。男である少年に、それを正確に真似ろというのも無理な話だし、ナナリーの声はパターン別に十種類ほど吹き込まれていて、それらは一回ごとにイントネーションが違う。それで彼は途方に暮れてしまうというほどではないが、困惑した。
五十回繰り返して、少年は目を細めた。
イヤホンの中からはまだ少女の可憐な声が、『オニイサマ』と言う人を呼んでいた。それは何処か嬉しそうで、彼が知らない感情を含んだものだった。
無理なものは、無理だ。コピーなど出来るはずがない。だって少年はその感情を知らない。ナナリーが兄にひたむきに向けている信頼と言う気持ちを、彼は持っていない。
それでも彼はそんな彼女のような家族をこれから演じなければいけない。ルルーシュという一人の男が望む家族にならなければならない。
出来るのかな、と少しだけ不安がもたげて、それから首を振る。出来なきゃいけない。彼には出来る。だから嚮団は彼を選んだのだから。
「おにいさま、か」
ぽつり、と呟いて、ああでも、と思う。彼は『妹』にはなれないのだから、呼び方を変えてみてもいいのではないだろうか。たとえば、『兄さん』とか。そっちの方が男兄弟のようだし、いい気がする。皇族でもないのだし、『さま』付けなどする必要もないだろう。敬意をあらわすのなら『さん』で充分だし、そっちの方が親しみやすい気がする。
イヤホンから、ナナリーの声がぷつりと途絶えた。
彼は、カメラを仰いで呟いた。

「『兄さん』」







20090508『アニ』