C.C.がなかなか部屋から出て行かない様子に、追い出すのも面倒くさいと、スザクはポットからお湯を注いで、少し口をつけるとカップを少し冷ますために揺らした。お茶を淹れるのも億劫だった。 「……そうか、意外だな」 C.C.がしばらくしてからまたぽつりと呟いたので、スザクは、瞬いた。 「どうして意外なんだ?」 それこそ『意外』だ。 「いや、別に。私は、この間の会談の様子から、てっきり……。テレビで観たんだよ。騎士というよりは、ナナリーを守る家族のようだったから」 そう、と、スザクはまたカップに口をつけて、唇を濡らした。家族と言うのなら、そうだ。ナナリーには小さな頃から兄妹のような感情を持っていたし(……あの頃は、好きだという言葉の意味をそもそもあまり考えたことがなかったから、もしかしたら恋愛の好きだったかもしれないが、今では丸っきり家族愛のように思い出す)、それは今でも変わらない。むしろ、本物の兄から妹を託されて、今や自分は兄になりきっているせいか、彼女と自分が兄妹じゃないということの方が驚きだった。 「家族というなら、そうかもしれない。それに近いよ」 「なら」 「だけど、どうして結婚だなんてとっぴな考えに結びつくのか僕には理解しがたいよ。それに僕はもう、この世にいないことになってる。僕の墓には、毎年、ナナリー自身が花を添えてくれるしね。結婚するために必要な戸籍が僕にはもうない」 「いくらでも作れる」 「そんなものと、婚姻を結んで何になるんだ? ナナリーの得にはならないだろう」 「そうだな、『ナナリーの得』として考えるなら、無意味かも」 「そうだろう? そんなこと、する意味は何もない」 「彼女の意思は?」 その言葉に、スザクは一瞬、返答が出来なかった。息を吸って、それから答える。 「ないよ。そんなものはない。僕達はそういう関係じゃない」 「わからないじゃないか。彼女の気持ちを、お前は直接聞いたわけじゃないんだろう? それなら、もしかしたらナナリーはしたいのかも」 何を言ってるんだ、とスザクは瞬いた。目の前のこの女はいきなり現れて、何を言っているのだろうか。 「ない」 ピシャリ、とひとつそう言うと、C.C.は、ワンピースの裾を揺らして、ソファに座り込んだ。 あの頃、黒を好んでいるような、怪しげな魔女の装束を思わせる服装だった彼女と、よく見れば、今の彼女は丸っきり違うように思う。女性らしさを取り戻して、丸いやさしい印象が強い。言葉遣いはあまり変わっていないが、端々に弱さを感じる。昔は他人の意見など受け付けないような印象だった。 彼女は、変わったのだ。あの頃と、容姿は不老不死≠フ名そのままに変わらないが、なかみが少し変わった。そして、スザクもナナリーも変わった。変わらないのは、ルルーシュだけだ。死んでしまったから。 「でも、ナナリーももう結婚しても良さそうな歳じゃないか。お前と結婚すれば、しあわせになれるだろう?」 「してあげられるだけの力が僕にない。僕は死人だ」 「でも、お前はルルーシュと違って、生きているじゃないか」 「体は。でも、もう、僕は僕じゃない。僕は『ゼロ』だ。他の名はないし、それ以外の自分に興味もない」 「そうか。じゃあ婚約の予定は? 申し込みでもいいが」 何でそんなことを聞きたがるのだろうか、と怪訝に思ったが、スザクは首を振った。 「僕はもちろんないし、ナナリーもないよ。……ナナリーも、する気も、ない」 最後の言葉は少し強く言った。もし、C.C.が、どこかしらの国の手先として、この場にいるのだったら、それらは全て無意味だと伝える必要があったからだ。それが伝わったのかそうではないのか、C.C.は残念そうな顔をした。 「そうか。それは――それは、残念だ」 最後の言葉は心からのもののような気がして、どうして?、とスザクは聞き返していた。C.C.は何でもないことのように答える。 「子供の予定もないってことだろう?」 予想外の返答に彼が目を見開いたのに、彼女は気付き、苦笑した。 「こども?」 「そうだ。……マリアンヌと、シャルルは、友人だったしな。ルルーシュももういない。ナナリーに子供が出来たら、と思っただけだ。何しろ、私は不老不死だからな、時間はたくさんある。けど、知り合いはいなくなるからな」 そう言ってから、冗談めかしたように、 「知り合いを一から作るのは気を思った以上に使うんだ」 と、笑った。 スザクはカップの白湯をすべて飲み干すと、キャビネットの上に無造作に置いて、ベッドに横たわる。天井を見つめながら、無理だよ、とぼそっと呟いた。 C.C.はすでにその時には、話題にも沈黙にも飽きたように、何処から見つけ出してきたのかピザのチラシを指差しながら、どれを頼もうか検討しているようだった。 「何でだ?」 「ナナリーは結婚しない。きっと、ずっと」 「ほお。大した自信だな。そこまでナナリーのことをわかってるお前がナナリーと結婚できないんだから、他人が出来ないのは当たり前かもな」 「そうだよ。僕ですら彼女とは出来ない。だから、誰だって無理だ」 天井から降ってくる蛍光灯の光から目元を隠すように腕で暗闇を作ると、それでやっとほっとした。スザクは自分が緊張していたのだとやっとわかった。当然かもしれない。最近はゼロの仮面を剥いで他人と会話をすることはなかった。 「どうして『無理』だってわかるんだ?」 「君の方が、それはわかってるんじゃないのか?」 スザクの言葉に、C.C.が一瞬固まったのが、スザクの目には見えるようだった。 「『愛されるギアス』を持った君が、一番それを知ってるんじゃないのか?」 「どうしてそれを知っている?」 「ルルーシュしかいないだろう」 「おしゃべりが」 悪態をつくのが聞こえたが、スザクはそれに同意する前に、ぼんやりと色々なことを思い出していた。きっとゼロとして生きる自分に必要になるだろう、と、ルルーシュが彼として生きた記憶を少しずつスザクに譲り渡す彼の行為と、それをしょうがないと思いながら苛立ちと共に受け入れた過去の自分。もうすべて、ずいぶん前のことになってしまった。 「ナナリーの前で、それを言うなよ。怒る」 「だろうな」 もちろんしないさ、と、言うC.C.にスザクは応える。 「ナナリーの中で、ルルーシュは今や絶対なんだ」 「?」 「わかるだろう? ずっと一緒に生きてきた兄妹だ。ずっと自分を守ってくれてた人間で、小さな頃はたったひとりの味方。長い間、自分以上に自分のことを思ってくれたただひとりの人間だ」 「想像に絶するよ」 「ルルーシュは、彼女に、溢れるほどの愛を注ぎすぎた」 長い長い年月をかけて注いできた愛の量は、きっとはかるには大きすぎる。まして、小さな頃の一年の長さは、大人になってからのそれとは量も質も重さの比重が違う。そんな幼少期に、自分以上に自分を愛してくれた人間が、彼女のために死んだのだと知ったナナリーの胸の内は、C.C.の言う通り想像に絶する。 それはまるで毒のように少しずつ少しずつ、ナナリーの内に溜まっていった。それが『愛』の当たり前の形だと、ナナリーが思い込んでいても仕方がないし、それを失くしてはじめて自分の中に大きな空洞があいたことに気付いても、ルルーシュほどの穴を埋めるような人間がこの世にいるとは思えないだろう。スザクもそう思うし、彼女もそれは気付いているだろうと思う。もし自覚がなかったとしても、ルルーシュがナナリーに注いだ愛情は本物で、それを越えるものはこの世の何処にも存在しない。同じものは、ただひとつとしてない。 「あいつは、シスコンなんだよ。度を外れてる」 「それに並外れたバカでもあるよ。ルルーシュは頭は良かったけど、自分のことに関してはまったくと言っていいほど、感知してなかった」 自分をいくら犠牲にしても、それに気付けなかった。幼い頃に三百六十度を敵に囲まれた中で、自分を大切にする方法よりも、妹を安全な場所に置かなければいけないプレッシャーが、彼のそれに拍車をかけたとしても、それは仕方ないことだ。 「そうだな。結局、自分を殺してしまうほどの大馬鹿だ」 「ブリタニアの皇族って言うのは、誰も彼も大馬鹿だけど、自分のことに鈍いのは兄弟共通なのかな」 そんなことはない例外も知っていたが、それでも呟いた。C.C.がそれに苦笑する気配を感じた。 「ナナリーもそういう意味では、ブラコンだよ。まさにコンプレックスだ。ルルーシュを越える人間をきっと探している」 けれど、いない。そんな人間は存在しない。彼は異端だったし、そもそもこの世には同じ人間は誰一人としていない。 「もし見つけられたら、結婚するかもしれない。だけど、見つけられないから多分しない」 「そうか」 「君も、……君が一番、ナナリーの気持ちを理解出来るんじゃないかって僕はずっと思ってた」 ナナリーがルルーシュのように振る舞うたびに、ルルーシュの言葉を思い出して、愛されるギアスをかけられた不憫な魔女を思い出すことがたびたびあった。魔女を埋め尽くすほどの愛の形が、彼女がギアスを手放したときに失ったそれらのものが、彼女の心に未だに空洞を空けていても、スザクは驚かない。 なぜなら、彼にもあるからだ。そんな空洞が存在するからだ。 「僕も、理想のものに会ったことがある。だから、わかる。それ以外、要らなくなる自分がわかる」 同じものでなければ、不要だ。――その気持ちが、わかる。そして、それは唯一無二のものだからこそ、もう手に入らない。出来るならそれにもう一度触れて、偽者でもいいから満たされたいのに、それでは満足の出来ないワガママな自分のジレンマに泣きたくなる気持ちが分かる。 枢木スザクは、ユフィという女性を亡くした。それは、ゼロとして生きる今でも心のどこかから何かをぽっかりと持っていってしまっている。逆に言えば、そのぽかりとした穴が、生きた人間であることを望まない彼を作ることに役立つ節もあるので悪いことばかりではないが。――生きなければならないナナリーは、どれほど不幸だろう。 もちろん、目の前の女もだ。 「ルルーシュも罪な男だな」 「姉弟で、罪な家族だよ」 「そうか。――シャルルの血が流れているのかもしれない」 その言葉に、腕をとっぱらってC.C.の顔を見た自分はどんな顔をしていたのだろうと、スザクは今でも思う。 「なんだ、そんな顔をするな。……そうか、その血が止まってしまうのは、残念だよ」 うん、残念だ、と言いながら、電話に向かい、ルームサービスを頼むC.C.の姿に、スザクは溜め息をついて、明日のゼロとしての活動を思い出そうとする。騎士であった自分が死んでしまったことにそこでようやく気がついた。 |
20090716『ランスロット』