オオイヌノフグリを踏みつけた。特に意味はない。摘んでみようと思ったけれども、あまりにも簡単に花が落ちるのでならばいっそと思っただけだ。
「わーダメじゃないロロ、踏み潰しちゃ。かわいそうだよ」
芝生の上を歩いてきたのはシャーリーだった。俯いていた顔を上げて、僕は顔をしかめた。あまりこの女のことが好きじゃない。どこが、と聞かれたら、全てが、と答えるしかないような気がする。一体全体世界の何処に恋敵が好ましいと思っている人間がいるだろう。長い髪もうっとうしいし、明るい髪色は内面を表すかのように賑やかだし、可愛いらしい声も妙に気に障る。――兄とキスしたと思っている口唇から溢れ出す雑音が僕をいらいらさせる。
「ごめんなさい、気付かなかった」
「ええ?気付かないって?」
でも、と僕の足が的確に青いつぶらな花に向けられてリズミカルにおろされるのを彼女は躊躇しながら見る。僕は足を上げて、苦笑した。
芝生から緑が薄くなり地面が見え隠れしている。皮靴に青い小さな花びらが付着してそれが恨みがましく自分を見ているようで僕は俯くのをやめた。
この花のように僕に恨みを向けているものは多いだろう。僕はそれを全てひきずって生きなければならないのかと思ったら、途端に寒気がした。
「どうしたの、顔が青いよ?気分悪いんじゃないの?」
「平気……。冷房の効いた部屋からいきなり外出たから気分が悪くなっただけで……」
シャーリーは困ったように額に手をあててオロオロとした。僕の表面温度は自分でもわかるほど冷ややかで、僕の心の一部を反映させたようだ。僕は確かに気分が悪い、でもそれは今日に限ったことではない。もうずっとだ。ずっと、僕の頭の中では始終変な音がしている。
「ルル、呼んでこようか?」
「い、いい!兄さんは呼ばないで!」
兄さんの名前を聞いただけで、僕の頬は真っ赤になりそうになった。シャーリーの前でそんなことは出来ないので必死で顔の筋肉を総動員する。ルルーシュ、という名前を聞いただけでなんでここまで動揺しなきゃならないのだろうと思うけれど、それが何だか腹立たしいけれど、仕方ない。僕は兄さんに恋してしまった。
「本当にルル思いなんだね。ルルには勿体無い」
シャーリーは女の子らしくあざやかに笑う。僕はムッとする。だけど、張り合ってもしょうがないので言葉を呑んだ。
「じゃあ少し一緒に日向ぼっこでもしてよっか。確かに教室は冷房がきついよね」
「え、ちょ……」
「いいからいいから、少しだけ付き合って。私も冷えちゃってさ」
僕の手を引っ張ってしゃがませる。シャーリーはにっこり笑う。
僕は、シャーリーが苦手だ。
僕は彼女を勝手にライバル視しているのに、彼女はそんなこと露ほども思っていないし、決してこの先もそうは思わないだろう。自分の気持ち以外にはとても鈍感で、もしかしたらルルーシュも自分をスキかもしれないなんて思っていて、そんなところがとても嫌いだ。
兄さんに大切にされているところが嫌いだ。兄さんは僕を簡単に殺せるだろうけど、シャーリーを殺すことはためらうだろうし、最終的に自分では殺せなくてもしかしたら自滅するほうを選ぶかもしれない。シャーリーは爆弾のようなものだ。危ないのに、兄さんは始末できずにズルズルと引きずっている。これが僕だったらポイッとされておしまいだろうに。僕にはない優しさをもらう彼女が嫌いだ。
大事に大事にされて、記憶も消してもらったのに、何度だって兄さんを好きになる彼女が嫌いだ。僕には兄さんとの思い出しか大切なものはないのに、彼女はそれを消されても平然としてもう一度兄さんを好きになった。僕には出来ないことを簡単にやってしまう彼女が嫌いだ。僕の方が兄さんを好きなのに、もしかしたらそうじゃないかもしれないなんて考える僕が嫌いだ。
「ロロもだけど、最近ルルーシュの様子もおかしいよね」
「そ、そうかな」
「あんな軽い男じゃなかったと思うんだけど」
「兄さんは軽くなんてないよ!」
「だよね!」
シャーリーは笑う。ちょっと頭ぶつけておかしくなっただけよね、と、兄さんのことを何処までも信じてる。僕はつられて笑った。泣きたくなった。
僕が出来ないことを簡単にしてしまう、彼女が嫌いだ。それは僕がしたくても出来ないことなのに。
僕は手元に咲いていたオオイヌノフグリをこぶしでシャーリーの顔を見ながら叩いた。けれども花びらは僕の手にはつかなかった。きれいな姿のまま芝生の上にぽとりと落ちた。




――やっぱり大嫌いだ。




20080709『ぼくは踏みつけたのに』