「兄さんに全部あげる」 ロロはルルーシュと触れ合っていた唇をはずすときにそう吐息のように漏らした。 僕の全部をあげる、だから好きなように使って、と。 ルルーシュは瞬いた。一瞬硬直してしまった自身の体を丁寧に一本ずつ脳から電子信号を与えて不審にならない程度にゆっくりとした動作で動かし、ロロの頬を撫でた。名残惜しそうにルルーシュの細い指がロロの白い肌をなぞる。 「ありがとう」 「うん」 そのまま抱きしめて抱きしめられて、ロロの髪が頬にあたる位置にまで顔を隠すとルルーシュは笑んだ。 それはつまり、ロロはルルーシュに忠誠を誓いルルーシュのために命を捨てる覚悟が出来た、ということだと都合の良い解釈をしても良いという許可を貰ったようなものだ。 (まぁ、同じことだが) たとえ、ロロがどうそれを解釈していたとしても。――ルルーシュの盾となり、作戦の駒になり、不要になれば切り捨てていい、とそう解釈しても良いと、ルルーシュにしてみればそういうことなのだ。 (愛?恋?好き?馬鹿じゃないのか?) そんな一時の感情のためだけに彼は命を投げ出してしまえる馬鹿なのだ。それならば、使ってやるのもいいかもしれない。恋愛とは浸っているときが一番の幸せのようなのだ、ならばそれに浸らせたまま殺してやることがロロには一番の幸福だろう。 (どうだ、嬉しいだろう) 愛や恋などに身をまかせて滅ぼして、結局自分が負けるだなんてそんなことはルルーシュには許されないし、許したくもない。負けたままこの人生を終わらせることだけはしたくない。ナナリーのためにも。――それはひいてはナナリーへの愛、なのだが、ルルーシュにとってみればロロの愛だとか恋だとかが、そのルルーシュのナナリーへの愛と同価値だとは思えなかったし、考え付きもしなかった。 「兄さん、本当だからね、全部、あげるからね」 信じてね、という言葉はかき消すように小さかった。ロロは微笑んだ。ルルーシュは笑った。 (ああ、出来る限り有効活用させてもらうさ) このからだのどこに人を殺す術を持っているのだろうか、と思えるほど白くて細いロロを抱きしめながら、ルルーシュは頭の中にチェスの駒に似せたロロを配置した。 (これで、また二百通りのルートが確保された。順調すぎて笑ってしまう) 声を抑えるのに必死になりながら笑いを噛み殺す。揺れた肩口。ロロはルルーシュの顔を覗き込もうとしたので、ルルーシュは顔を取り繕わなければならなかった。 ロロの大きな瞳に覗き込まれて、その中に自分の顔が取り澄ました顔をして映っているのをみてルルーシュはまた一瞬固まってしまった。ロロは不思議そうな顔をしたが、眩しそうに目を細めるように笑った。 「兄さん」 「あ、ああ……だが、その、全部、というのは」 ルルーシュは自分でも思いもかけない言葉を口に出した。 (しまった!何を言っているんだ) 全部くれてありがとう、と何も条件を提示しないさせないでまるっと貰ってしまうのが良い方法なのだ。ロロが少し頭を働かせて、それもそうだね半分くらいあげる、とか、不公平だから兄さんも兄さんをちょうだい、とか言われたらルルーシュの負け要素を作ることになる。恋愛での取引材料としてその言葉を受け取る気はまったくルルーシュにはないけれども、ロロにはそう思い込ませておくことが必要なのであって、 (――ああ、もう!) ルルーシュが自分の脳内と戦っていると、ロロはそんなことどうでも良いように笑った。 「僕全部って意味だよ。からだも命もギアスも全部、兄さんの好きに使っていいよってことだよ」 「ロロ……」 「兄さんがどれだけ僕を好きじゃなくても、僕のすべては兄さんのものだし、だから兄さんが僕のことどんな風に使っても僕はもう僕のものじゃなくて兄さんのものだから、僕は後悔しない――ってこと」 真剣な顔でそう言うと、ロロは少しだけ困ったように微笑んだが、 「さ、兄さん、夕飯にしよう」 とルルーシュから腕を離した。拘束されていたルルーシュのからだは一瞬支えをなくしてグラついた。ロロはそれに気付かないように歩を進めて、ドアを開ける。キッチンから匂いがただよってくる。足元が一瞬たわんだ。 ロロはくれると言う。ギアスも、命も、からだも、ロロの心も。すべて。ルルーシュの目的のために捧げてくれるという。その見返りに何もいらないという。本当に? (見返りを求めないものなんてあるのか?この世に?) たとえばそれは愛だ。けれども、ルルーシュには言葉はみつかってもそれが上手く飲み込めない。ロロのルルーシュへの感情が愛だとは思えなかったからだ。ナナリーが同じことを言ってくれたのなら、ルルーシュは感極まって泣いただろう。けれど、ロロの言葉はルルーシュの胸にさほど響かなかった。道具として使ってくれ、とそう差し出された兵隊人形が口をきいたようなもので、時を止めるギアスという能力のおまけの存在。――それが出会ってたった一年で愛を語る。 もちろん騙され続けていた一年間、ルルーシュはロロに家族愛を注いでいた。けれどもそれは、まやかしだった。ロロだってそれをわかっていた。わかっていたのに、それを純粋に受け取っていることなんてありえない。 (ありえないことなんて、この世にありえない) お化けがいないように、宇宙人がいないように、いないものは井戸の傍らで皿を数えないし、地球を侵略したりしない。この世にありえないことは存在しない。ありえないからだ。 けれど、ロロはルルーシュに恋をしている。 好きだ、とルルーシュに伝えてくるロロの言葉がウソだとはルルーシュにもなんとなくそう思えない。甘い考えだとは思いはするが、それでも真摯に瞳を覗き込まれて顔を赤くして震えているロロに、ウソなんだろう?と糾弾する気はまったく起きなかった。 けれども逆にそれを利用させてもらおうと思った。ウソでないのなら利用してしまおうと、そう思った。 そして、ロロはそれに乗った。ルルーシュも、乗った。ロロの恋愛ごっこに付き合ってやる代わりに、兵隊を手に入れた。 恋愛ごっこの恋や愛に本物がまぎれているとは思えないし、本物だとしてもルルーシュの元へは届かない。この指が、彼の頬をなぞることが出来ても、ロロの指が、ルルーシュの心には届くことはない。この唇が彼の唇に触れても、ロロがルルーシュの大切な思い出に触れることは出来ない。そういうことだ。すべては、茶番なのだ。 けれども、その茶番にロロはすべてをかけると言っている。 ルルーシュはロロが出て行った扉を見て鼻で笑った。 (馬鹿げている) 全てを自分に捧げるという。そんなバカげた存在をルルーシュは見たことがなかった。見たことがないどころか、想像したこともなかった。 (この俺に、予想できないことがあるとは) ――不愉快極まりない。 母が死んだときも、ナナリーの足と目が不自由になったときも、日本で過ごすことが決まったときも、予想することの出来ないことばかりだった。想像できないことはルルーシュにとって最悪の出来事以外の何者でもない。――最たるものがスザクだ。 だからその最悪を回避するために、ルルーシュは頭を常に回転させ生きてきた。 (……すべて、ってどれくらいだろう) ロロがいうすべてとはルルーシュには検討もつかないことにふと気付いた。 命をくれるという。命を捧げて、そして?ロロが死んで、それで? (ロロが生きていても死んでいても、何をしていても、全部俺のせいか?) 全部、とはそういうことだろう。全部、を受け取れるのか?人間ひとり分を丸ごと好きにつかっていいという。けれどもそれは、どう使えばいいのだろう。 「は、ははは……」 途方もない。大きい。そのひとり分の大きさを、ルルーシュは思う。 ロロが死んでも誰も悲しまないだろうと思っていた。けれども、生徒会役員は悲しむだろう。みんな気の良い人ばかりだから。 「だから、愛とか恋とかは信じられないんだ」 口に出して呟いてそれでやっと安心したように、扉に向かう。 (使ってやるさ) たとえ、それで誰が泣いても。ルルーシュは負けるわけにはいかない。妹のために世界を変えなければならないのだから、自分の心に惑わされている場合ではない。 ナナリーを、ナナリーのために、ただそれだけのために。――ナナリーにすべてをあげたい。 たとえそれがロロの気持ちと同じでも。誰が悲しんでも。自分が悲しんでも。 |
20080725『人形劇』