一番に好きなものがそれだった。
それ以外どうでもいいと思っていた。
けれど、比べられないほど好きなものもあった。
それ以外どうでもいいこと、が、それを好きでいる唯一の手段だったから、それ以上のものがあるなんて、許されない。






















 「家から、打ち上げ花火見えないかな」
妥協案のようにあまりにも良い閃きだというようにルルーシュがそういうのでロロは何も言えなくて、そのまま曖昧に頷いて帰路についた。
 ルルーシュは買ってきたアイスを一番にナナリーに届けたし、ロロはそんな兄の後ろ姿を目で追っていた。ナナリーに早速花火大会のことを話す彼に落胆することもバカらしくなっていた。デートを期待する恋人同士でもあるまいし、ロロは兄と妹と良好な家族関係を保っていかなくてはならないのだから、変な独占欲を持つこともあるまい。
 (……可哀相な……――『可哀相な、兄妹。』『悲劇の兄妹』)
昔の叔母の葬式で親戚がぼそぼそと交し合っていたルルーシュとナナリーの代名詞だ。可哀相に、可哀相に、母親に先立たれて、父親には見放されて、何て可哀相な兄妹だろう。
(『だから、優しくするんだぞ。』)
親戚達が口々に呟いたその言葉を幼いロロも覚えている。気丈なルルーシュにどうやって優しくすればよかったのだろう。ロロは困ってしまった。優しくしたかったのにその方法を知らなかった。ナナリーは例によって病気で寝込んでしまい、独り葬式会場では鯨幕に包まれたルルーシュが背筋を伸ばして震えていた。
(だから、優しくしたいと思ったのかな。だから、仲良くしてきたのかな)
ロロは、親戚の言葉を今でも忠実に再現しているのだろうか。そんなに自分はいい子だっただろうか。
 ルルーシュと仲良くしていたいのも、わがままをいって困らせたくないのも、彼の不興を買うことを恐れて喧嘩すらしたことないのも、そのせい?
 じゃあ、この独占欲は?ただ同情しているだけなら持ち合わせないはずの、ルルーシュを独り占めしていたいこの欲は何処からくるのだろう。ナナリーと一緒にいるのを見るだけでこの頃胸がジクジクして痛いのはどうしてだろう。ナナリーのようにルルーシュに優しくしてもらいたくて、少しでも見ていて欲しくて、それでナナリーに嫉妬するなんてバカみたいだ。ナナリーのように兄妹を演じたい。良い兄弟でいたいのに。






 「だーかーらーな!東京に夏休み中に一回は来いって向こうは言ってくれてるんだ!」
興奮して話す扇を、ロロは落ち着いてと両手で制す。前のめりにやってくる扇のせいでさっきからロロは後ろに椅子を引きっぱなしだ。
 翌日学校に行くと扇に放課後残れといわれた。兄と帰れるチャンスだったけれど、しょうがないのでメールをして昼ごはんを部室で食べていると興奮した様子の扇が遅れて入ってきた。
 「……扇さん、それって、本当に?」
カレンが疑わしげに聞くのに、扇はもちろんだ!と大袈裟に頷いた。
 ――軽音楽部、第二部室。
狭いながらも使いやすく整理してくれたのは卒業生であるキーボードのジェレミアだ。一応メンバーでもあるから時々顔を出すが、今日は来ていないようだ。
 「……でもさ、東京にいってどうすんの?」
ロロは手元を見る。くるくると人差し指同士を触れ合わないように回す。ルルーシュが頭が良くなるぞと教えてくれた手の体操だったが、今では何となく落ち着かないときのロロの癖になっていた。
「『どうする?』愚問だ!デビューに決まってる!」
「ええ!?」
びっくりしてロロは半分飛び上がった。カレンはロロの方を察しが悪すぎ、と横目で見やったが、彼女自身も半信半疑のようで何とも言えない顔をしている。
「デビューって、へ?プロモのテープが通っただけでしょ?」
「ああ、それで決まった」
「……!」
しっかりしてくれよ、と言うようにスティックでロロの頬をツンツンとつつくと扇は説明をはじめる。
「日付は一応向こうと話し合って決めた。当日は、多分契約書類の説明になると思う。交通費用は向こうが持ってくれるそうだ」
「ちょっと、ちょっと待って。僕……いきなり、そんな、」
「何だ?」
意外そうな顔をして扇はロロを振り返る。
「お前、昨日喜んでたじゃないか。プロモ送るときもノリノリだったし」
「でも……そんな、だって」
「まあ、戸惑う気持ちもわからなくもないが。俺は、お前に本当は一番にお礼が言いたいんだ。こんな凄い話、――正直、お前の歌声のお陰だと思ってる。まだまだ力不足なところが大きいけど、うん、あっちもお前の声がいいなって言ってくれたよ。お前がいて、よかった」
「そんなこと……」
(あれ、これ、何処かで聞いたことある……)
扇はロロにひとつ優しく頷くと、メールをプリントアウトしたものを『読んでおいてくれ』とロロとカレンに渡す。
「ふ〜ん、騙されたのかと思ったけど……」
カレンはざっと二、三枚めくると、いいんじゃない?と扇に笑い返した。
 その後、いつものように練習をして帰ったけれど、正直散々だった。興奮した扇はドラムのバスドラムをテンションのままに踏みまくってリズムどころの騒ぎではなかったし、ベースのカレンは東京で周るお店のチェックをしたいから今日は帰ろうと終わるまでごね続けたし、ロロはロロでそんな騒ぎすら耳に入らないほどぼーっとしていた。キーボードもいないので、まるで音楽にはならなかった。
 (……――『…お前、歌が上手いんだな』)
ロロにきっかけをくれたのはルルーシュだった。それを思い出していた。





 葬式の日、線香のこもる部屋から焼香がひと段落すると子供達は追い出された。どうやら大人たちだけの相談事があるらしい。ルルーシュの遊び相手をしていなさい、と母親に言われたのはいいけれど、ルルーシュは結構、とでも言うように本殿を出るとまるで目的地があるかのようにピッと背筋を伸ばして歩いていってしまった。ロロはその後を追いかけた。
 たくさんのお墓の間をくぐりぬけて、まだ真新しいお墓が密集するところも越えて、まだお墓の枠組みさえ作られていない小高いところまで出て、やっとルルーシュは歩みを止めた。今から思えば五分も歩かない場所だったけれど、小さかったロロはその遠大に思えた距離に軽く眩暈を覚えた。冒険心よりも、お墓が、お化けが怖いという子供らしい気持ちに支配されて、ヨロヨロと前を見据えるルルーシュの方へ歩いていった。
 「お、お化けなんかないさ、お化けなんてウソさ!」
「!」
突然の歌声に恐怖を覚えたのはルルーシュの方だっただろう。あのときの振り返った青い顔を思い出しただけで、ロロはちょっとだけ笑ってしまう。いつもは動揺する姿なんて見たことがなかったから、初めてひとつしか歳が違わないのだとその時実感した。
 「お、お前……」
「ね、ねぼけたひとが、みまちがえたのさーーー!」
「はは」
ルルーシュは気が抜けたのか、そう言って笑った。まるでそう言うように笑った。ずっと真一文字に結んでいたのだろう唇が音を上手く発せていなかった。
「なんだ、それは?民謡か?」
「だけどちょっとだけ……え?知らないの?学校で歌わない?夕方、3chでもやってるよ」
「知らないな」
「ふーん、珍しいね」
「そうかもしれないな。俺の家は普通じゃないからな」
「そうなの?お金持ちだって聞いたよ」
「間違ってはいない。でも、それしか取り柄がない」
「とりえ?」
「なんか、他にも歌ってくれ。お経ばかり聞いていたから、耳がおかしい」
 ロロはうーん、と首をかしげながら、好きなアニメの歌や、歌集に載っていて暗譜しているものをひとつずつ歌ってみせた。
 ルルーシュは直立不動でたっているのも疲れたのか、しゃがみ込む。ロロも隣に座って、草を抜いたりしながら歌った。
 ルルーシュにも一曲教えてみたが、途中でやめてしまった。
「お前、歌上手だな。才能があるよ」
俺は下手だな、と彼は笑った。もっと歌って、もっと歌って、と急かされて、ロロは精一杯歌った。優しくすることは、お願いを聞くことだと思って、はじめは一生懸命だったが、途中からロロも楽しくなってきた。歌うことが楽しいのだと、ロロはその時思ったのだ。




 ――きっかけはルルーシュだった。
大好きな歌を歌うことのきっかけは、大好きなルルーシュだった。彼のために歌った。それがはじまりだった。
 それを、ロロは思い出していた。













20081125『Fire Flower 3』