誰にだって、大切なものがあるだろ?
 誰にだって、大切にしたいものがある。それは好きな人だったり、思い出の品だったり、宝物だったり、心だったり。
 たとえそれが、自分自身でも、それは別に誇れないことじゃない。






















 扇とジェレミアが喧嘩をした。――車内の空気は最悪だった。
 レコード会社の人が予約をとってくれたおかげでロロたちは新幹線に乗ることが出来た。もっとも、逆向きだったら盆の帰省ラッシュに巻き込まれて大変だったかもしれないが、ロロたちは田舎から東京に出るだけだったからそれほど混んでいるわけでもなかった。それでも、この時期のチケットを人数分とるのは骨が折れただろう。交通費も持ってもらえて目的が観光だけなら万々歳だ。
 扇とジェレミアは隣同士で座っていたが、目を合わせないどころかそれぞれ反対に顔をやっている。普段は二人とも気性が荒くない分、ロロは珍しいものでも眺めるような気分だった。カレンも同じようだが、関わり合いにはなりたくないようだ。ロロとカレンがどちらかと席を交換すればいいだけだと思うのだが、カレンは絶対に嫌だと言ってロロを引っ張った。酔いやすいロロのために窓側は譲ってくれるというので有難くロロもそこにおさまっている。
 「……ふたりとも、まだ怒ってるね」
「どうだろう。ジェレミアさんは別にそれほどでもないんじゃない。売り言葉に買い言葉で、後ろにひけなくなっただけじゃないの?扇さんがあんなに怒るなんて意外だったわね。気持ち、わからなくもないけど」
「そうだね。でもどうするんだろう?」
ロロにとって他人事ではないのだが、何だか色々起こりすぎて頭がボーっとしている。初めて東京を見た感動のせいかもしれないし、それほどでもなかったなという感慨かもしれないし、自分の今おかれている状況が信じられないせいかもしれない。
「ジェレミアさん抜けたら、誰が作曲するの?って話よね。でも、ロロも勉強してるんだし、」
カレンの言葉に、ジェレミアが、せっかくの話だが、と断りをいれたときのことをロロは思い出した。



 「私は、この夏で音楽活動をやめようと思っています」
スーツを着込んだ大人に向かって、よくそんなことを言えるなとロロは変なところで感心した。まっすぐ背筋を伸ばして、契約書を返す様に惚れ惚れとさえした。
「そんなっ、どうして!」
扇は事態が上手く呑み込めずに、えっ、えっ、とジェレミアと担当さんを前に目線を順によこすばかりだった。
 担当は、目を細めて、どうして、と問う。顔は真剣なままだったが、まるで面白いものを見ているかのような目をしていたのをロロは見ていた。
「高校に入って、環境が変わりました。ついていきたい人が出来ましたので」
「ふーん……それで、扇くんは、どうするの?」
「えっ、いや、どうするって……!」
「彼が曲とか書いてたわけだろ。抜けたら、こっちから補充するっていうのでいいの?僕の考えは、そうだね、彼が抜けたら作曲の面とかで少し不安が残るかもしれないけど、元々、ランペルージ君の声に期待してるってのが、本音なんだよ。だから、別にこの話はそのまま進めたいと思っている」
扇はそのあとずっと低姿勢だった。ロロの過去二曲だけ作曲したことがあるという話も、じゃあそれでいこうか、足りないメンバーだけどっからか引っ張ってくる、とそういう話になっただけだった。




 「あんた、すごく期待されてるのね」
カレンが思い出したようにそういった。
「そんなことないよ」
「そう?向こうの口ぶりからして、あんたをデビューさせたいみたいな感じだったけど。私らなんかおまけでさ。でも、まぁ私は別にそんなの気にしないけどね。元々、演奏能力低いのわかってるし、もっと足引っ張らないように練習するけどさー。でも、ジェレミアさんが抜けたら、三人かー。寂しくなっちゃうわね」
そうだね、と返しながら、ロロは窓に映った自分の顔を透かして流れていく夜の町の様子を見ていた。
 ジェレミアがルルーシュと同じ学校に入って、同じ生徒会に入ったのも知っている。ルルーシュを尊敬していることも知っていた。ジェレミアのついていきたい人、というのがルルーシュだということも想像に容易かった。生徒会長に立候補するルルーシュを支えたいと思っているのだろう。それもいいと思う。ううん、すごく良い考えだと思う。
 元々ジェレミアの家系はヴリタニア社に務める役員を数多く輩出していたし、ゆくゆくはジェレミアも本社に勤めることになるだろう。成績もいいらしいし、国立大学を目指していることも聞いた。そのままいけば若くして本社勤務になれるエリートも夢ではない。
 でも、ジェレミアはルルーシュ個人についていくのではないかとロロはぼんやりと思っていた。そして、その人生は多分間違いではない。ルルーシュは非凡な才能を持っているのだから。ジェレミアはそれを感じ取っている。その勘はどんな形であれ当たるだろう。
 「でも、格好良かったよ。自分の気持ち、きちんとわかってるんだ……」
「ね、私も見直した。意外だったからすっごく驚いたけど、でも、私はこの道で頑張るつもりだよ。急だったからお母さんとか驚きすぎて、腰抜かしたけど」
独り言だったつもりの言葉に、カレンは同意してくれた。
 扇が話を持ってきたとき、ロロも確かに嬉しかったし、デモテープを録ったときにはデビューしたいと本気で思っていた。けれど実際に転がり込んできた話に、ロロ自身はついていけてない。
 夢が叶うという。
 でも、そのために差し出すものがある。中学を卒業したらしばらくは東京での暮らしを義務づけられたようなものだし、そうなればあの家を出なければならない。家には、父母とルルーシュとナナリーがいる。この先は今までとは違い、一人暮らしをして自分のことは自分でしなければならない。今まで食事を作ってくれていた母の元から巣立つことになる。父も母も反対するだろうか。ルルーシュは?ナナリーは?ルルーシュは、反対してくれるだろうか。寂しいとロロを引き止めてくれるだろうか。
ロロは、まだ家族に言えていなかった。昨日と今日もただ扇の家に泊まりに行くとだけ言って家を空けてきていた。
 ルルーシュの近くから離れる自分を上手く想像できない。だけど、自分がこの話を断るところなんてもっと想像できなかった。ロロにとって小さな頃からの夢だった。テレビで観たマイクを持ったアイドルに憧れて、ああ自分もいつかはこの舞台に立つのだと漠然と予感していた。そして、それはすんなりと今でも描ける。もちろんところどころ不安もあるけれど、自分にそれ以外の道を見つけろというほうが難しかった。
高校に行って、勉強をしているロロ。生徒会に入って、兄を助けるロロ。――どれも想像が出来たけれど、どこか自分の中でそぐわない。これはこない未来なのだと何となく思っている。
ルルーシュの助けをしてあげようと思った。高校に入って、忙しい兄の手伝いが少しでも出来れば、近くに少しでもいれて、必要とされたらどんなに嬉しいだろうとも思った。
だけど、それを手放しても、欲しいものがある。――今までは、そう思っていた。
歌手になって、大きな舞台に立って、人の前で歌えたら、一生歌えたら、どんなに気持ちよいだろうと思っていた。それ以前に、ロロにはそれしか道が見えないような気がした。欲しいもののひとつだった。そして、それがなければ生きていけないだろうと思う。
だけど、歌なんて何処でも歌えるのだ。別にプロにならなくたって、プロになってマスコミに私生活まで追われて、他人に注目されてまで歌いたいのかと自分に問うたとき、どうなんだろうとロロは俯かざるをえない。
人生には三回ほどビッグチャンスが転がり込んでくるという。自分の人生を左右するほどの大きな節目、それが今そのときなのだろうか。
本当は、どれもそれほど不安じゃない。どこまでやれるのかやってみたいと思うし、チャンスを生かすことは悪いことじゃない。――だけど、きっと、ルルーシュとは離れ離れになってしまう。毎日、小さいときからずっと一緒に長い時間を過ごした兄と、離れてしまう。それがこんなに悲しいなんて、自分でも想像できなかった。親でも友達でもなく、ルルーシュと分かれるのだと思うと鬱々とした気持ちになる。いつも庇ってくれたルルーシュが隣にいないことはどれだけロロの不安になるだろう。そして、それだけ依存している自分が恐ろしくもある。
ジェレミアは、ルルーシュの傍で頑張ると決めた。ロロは、それを決められずにいる。ルルーシュがこちらに来ることはまずナナリーがいるからありえない。そして、ロロもそれは想像できないし、求めるつもりもない。
新幹線が、流れていく。街が流れていく。ビル群を通り過ぎて、田舎になる。この長い長い距離。昔の人は、きっと江戸に出るとき一生帰らないと諦めざるをえない距離だっただろう。
 ロロも、決めなければならない。ジェレミアは決めた。カレンも扇も決めた。――みんな、決めている。




 地元の駅に着くと、改札で夜も遅いのにロロを待っている姿があった。
 驚いて振り返ると、『じゃあな』とみんながロロに手を振る。ロロは驚きながらも、彼と一緒に帰路につく。












20081204『Fire Flower 4』