「意外だな。……まだ、結婚してなかったのか」
ナナリーをプライベートルームに送ってから、ゼロの仮面を脱ごうと椅子に手をかけたところで、後ろから声がした。鏡台に映りこんだ鮮やかなライムグリーンの長髪が、じぃっとこちらを見つめているのを見つけて、彼は笑った。――気でいたが、実際は長年こわばった口角が少し上にあがっただけで、嘲笑めいたものが見えただけだった。
鏡に映った自分の顔と、それを後ろから覗き込む女の顔を見比べるように、彼は振り向かないまま、ごく当たり前のように口を開いた。
「……何処から、入ったんだ?」
「黒の騎士団の連中は、まだ私を覚えているみたいだな」
「そりゃ……数年で、そこまで呆ける人の方が難しいだろうね。なるほど」
 鏡に映った彼女は、黒の騎士団が活動しており、本物のゼロが生きていた頃好んでいた服装ではないような、少女めいた淡いワンピースに身を包んでいたが、その不遜な態度と、誰の目にもすぐに留まる髪色が、C.C.を認識するのに役立っていた。
 彼はそこで彼女から視線を外して、仮面を脱いで、マントを剥いだ。黒一色だった全身から、蘭茶の癖っ毛が飛び出して、猫のような目が振り返る。
 「何をしに来たんだ?」
「護衛にまだあんなに黒の騎士団の連中をつかっているのも、意外だったな」
「……君とちゃんとした会話になったためしがない」
「私とだけじゃないだろう」
「そうかな。僕は、……そうだね、そうかもしれない」
俯いてつま先を見つめていると、彼女が立ち上がる気配がした。
 「いつまで、こんなことを続ける気なんだ?」
「そんなことを言うために、君はここに来たのか。不老不死を手にした人間ってのは、暇なんだな。他にすることがないのか?」
「ふん、お前だって同じようなものだろう?」
目の前に、C.C.が立って、彼の瞳を見つめる。その目から視線をそらすと、彼女はうっすらと微笑んだ。
「枢木――」
「やめろ。そいつは、死んだんだ」
「じゃあ、何と呼べばいい?」
「呼ばなくていいよ。呼ぶ必要もないだろう? 君は、……僕も、君の名前を知らないわけだし」
「ふうん。まあ、そのゼロさんは、生きているはずもないのに、ここにいて生きてる。それを、不老不死とは呼ばないのか? もしくは、同意義と」
「わかった。僕の暴言に腹が立ったなら、謝る。『ゼロ』は君の言うとおり、年もとらないし、死にもしない。象徴だから。……そうだね、せめてナナリーが死ぬまで、僕は民衆の前に立つだろうね。――君が、いくらそれを不愉快に思おうと、止めることは出来ない。ルルーシュとの約束だから」
そう言って、彼は何かに勝ち誇ったように顔を上げたが、目の前にいる彼女は彼の意に反した表情をしていた。何かを哀れんでいるような、慈しんでいるような、形容し難い表情。
 「ルルーシュとの約束、ね」
「そうだ。君は、ルルーシュを思い出すのが嫌なようだけど、だからって僕がいなくなるのを止められるわけじゃない。大方、テレビででもゼロの様子を見たんだろう? 苦情なら、僕じゃなく、テレビ局に言えよ。『ゼロを映すのは不快だからやめてくれ』って――」
「ほお。私が、ルルーシュを思い出すのが嫌だなんて、初耳だな」
「違うのか?」
意外に思って素直に聞き返すと、C.C.は、肩をすくめて曖昧な表情をした。
 「どうだかな」
充分間をとってから、C.C.はそれだけを言った。
 スザクは首を傾げた。彼女が何をしにここに現れたのかも、自分と会話をしているのかも理解できなかったからだ。そして、ルルーシュなら、とぼんやりと思った。
(この女の思惑がわかるのだろうか……)
最近、いや、もうずっと前から、ゼロの仮面をつけるようになってから、スザクは自分自身の上にルルーシュの考えを照らし合わせることが増えた。当たり前と言えば、当たり前だ。スザクはゼロになりきっていたルルーシュを演じることを託された。体、本体の名前は『スザク』だが、彼の本質はスザクであることを認められていない。
 ――ただひとり、ナナリーの前だけを除いて。
 ゼロの仮面を暑い日も寒い日もかぶり続けて、永久にナナリーの騎士としてだけ生きる中の人間を、ナナリーだけが認識し、そうして労わってくれた。
 最近では、少女というより、ひとりの女性として美しく成長したルルーシュの妹は、細く美しい指で、スザクの頭を撫でることが増えた。言葉を交わすより、手を握り合っている方が多いかもしれない。
 スザクはもう自分自身の口が開くことを拒み続けて、何処から何処までが自分の言葉なのかを忘れてしまった。
 だから、今日は明らかに話しすぎだった。
 「……C.C.、泊まるつもりなら、他に部屋を用意させる。僕は疲れてる。やっとの休みなんだ。ひとりにさせてくれないか?」
「それより、ピザはないのか」
「部屋に用意させればいい。好きに使えよ」
「悪い、そんな顔をするな。そんな顔をさせるために、お前の部屋を訪ねたんじゃない」
途端に殊勝な言葉に、スザクは瞬いた。そんなにひどい顔を自分はしているのだろうか?
「している。ナナリーに、心配されないのか?」
「……さあ。ナナリーはいつも僕を心配してるから、……正直、もうよくわからない」
スザクと二人きりになると、ナナリーはルルーシュのように、ルルーシュが彼女にそうしたように、スザクの面倒をあれこれ見たがった。元々、やさしい性格だったけれど、最近は特にルルーシュのようだ、と思うことが多くなった。それとも自分が感傷的になったせいなのだろうか、とスザクはぼんやりとする。本当は自分こそが、彼の代わりにナナリーの面倒をみなければならないのだろうが、ナナリーはあの頃よりずっと自分ひとりで出来ることが増えたし、大人にもなった。
 「なんだ、ノロケか」
「君はどうしてもそっちに話を持っていきたいのか?」
はじめ、部屋に入った途端にかけられた言葉を思い出して、溜め息をつくようにそう言うと、C.C.は何故かからかい笑いをやめて、頷いた。真剣な表情に、スザクが慌てた。
「結婚とか、言ったけど、そんなことは僕とナナリーとの間には絶対にないよ」
「そうか?」
「ああ」
「本当に本当に? 月が西からのぼっても?」
「さあ。月が西から昇ったらあるかもしれないけど、東から昇るうちはないよ。あれ、合ってるよね?」