ロロが落ちていた。だから拾った。――それだけだ。





















 「家は何処だ?」
とりあえず何か聞かなければ、とルルーシュが幾つかした質問全てに彼は首を傾げたり横に否定の意味で振ったりした。最後の質問のそれすらも首を振られて、ルルーシュの方が途方に暮れた。しばらくの無言の後、からかわれているのかもしれないとルルーシュは溜め息をついて『それじゃあ』と帰ろうとした。外に長い間いるのは得策ではないし、無駄な時間を費やす気にもなれなかった。
 「……なんだ?」
進もうとしたが進めず、異変を感じて後ろを振り返ると、上着の裾をつかんでいる少年がいる。こちらを見上げてくるわけでもなく、掴んだ黒い布と手元をじいっと見ながらルルーシュの歩みを止めている。
 「――はあ、お前は、どうしたいんだ?」
問いかけても反応はないが、邪険にするのも憚られた。ロロに本当にそっくりで、きっと彼が子供だったのならこんな感じだろうとルルーシュが想像した通りの姿に冷たくするのも気が引けたのだ。
 目線を合わせるためにしゃがみ込むと、その細い膝小僧から血が流れているのに気がついた。
「転んだのか?」
指差して問うと、少年はぼんやりと首を傾げてから、はっと思い立ったように頷いた。
 「こい、そのままだとバイキンが入るぞ」
「……」
バイキン、と口元が動く。
「とーっても怖いものだぞ。足が腐ってなくなってしまうかもしれない」
「……」
少しぼんやりと考えて、それは嫌だと彼は首を振った。ルルーシュはくすりと笑って、手を引く。近くの公園に引っ張っていった。
 石畳が途切れて、砂利になる。その上を音を出して踏みしめながら、ルルーシュは少年を振り返る。遊びに来た子供や親用に水飲み場が用意されているそこで、靴を脱がした。
「ほら、靴下を脱いで」
彼は頷いて、左足だけふらふらしながら上げた。
「俺につかまれ」
少年は少し考えながら、小さな手を彼の肩に置く。全体重、というほどではないが、預けられた体重はそれでも想像以上に軽かった。
(ちゃんと食べなきゃダメだぞ)
心の中で呟いた言葉は、昔、兄弟がいた頃、弟にいつも言っていたことだった。弟は偏食で、食べられないものはなかったが、ルルーシュが目を離すとすぐに残したり避けたりした。言えば文句も言わずに美味しそうに食べるのだが、誰も見ていなければ何も食べずにルルーシュが食べているのを何故だか眺めたがった。他人が食べているのを見るのが好きなのだと言っていたが、ルルーシュはその真意を未だに見出せずにいる。――それとも、これも作られた記憶だったのだろうか。父のギアスは悔しいが確かに強力で、ルルーシュはそれを破った今でも、どれが本当の思い出なのか釈然としないことが多かった。ナナリーだっただろうか。けれど、ナナリーは可哀相なことに、ルルーシュの方を見ようと思っても見れないのだ。だからただきっとロロだったのだろうなと思うだけだ。
 差し出された白い足をゆっくりと丁寧に、水をつけた手で擦ってやる。染みないか冷たくないかと少年を見上げると、彼はにっこりと笑った。ので、ルルーシュはびっくりした。反応が返ってくるとは思っていなかったのだ。
 「痛くないか」
少年は頷く。ハンカチで優しく拭うと、血は止まっていたようだった。
「生憎、消毒液や絆創膏を持ち合わせていない。家に帰ったら、親に手当てをしてもらえ」
「……」
少し首を傾げて、彼はああと得心した顔をした。それからぼんやりと頷く。ルルーシュは、靴下を一生懸命履く少年に眉を寄せた。
「家は何処だ?」
送っていこう、と言うと少年はどういう意味か首を振る。
「でも、危ないだろう」
何が危ないのかルルーシュ自身もわかってはいなかったがそう言うと、子供は困った顔をした。
 ルルーシュはそこで、そうか、と思った。もしかしたら、近頃の対戦で親を亡くしたのかもしれないし、何か原因があって帰りたくないのかもしれない。そう一度思うと、それ以外思いつかない気がした。
「……そうか、……そうだな、お菓子を、……ああ、えーっとこの間買った菓子が俺の家で余っているんだ。元から、食べる気もなかったんだが、買ってしまって。腐らせると勿体無いだろう。お前さえ良ければ……あー……お菓子でも食べに来ないか。良ければ手当てもしてやろう」
少年は、菓子、という言葉に魅かれたようで、まん丸の瞳でルルーシュをじっくりと見つめている。
「良ければ、だが。親に怒られたりするか?」
彼は首を振る。そして、困ったように周りを見渡して、ある一点に目線が釘付けになった。
 返事を待っていたルルーシュは、彼の目線の先を追って、
「砂のお城?」
と呟いた。公園の砂場に、見事な砂のお城が場違いのように存在感を放っていた。見事なものだとルルーシュも感心する。近頃の子供はあんなものも作れるのか。
「……どうしたんだ?」
服の裾を引っ張って、ルルーシュをそこにつれていこうとする彼に付き合って、ルルーシュは砂場にしゃがんだ。
「これは、凄いな」
細部まできちんと凝られた砂のお城は、窓やタイルまできちんと彫られている。少年も、砂のお城をほ〜っと見ている。と、いきなりしゃがみこんで、両手を砂に突っ込み始めた。
「お、おい?」
「……」
無言で砂をかき集めて、ペタペタと城を横目で見ながら一生懸命積んでいく。お城の隣に大きな山が出来た。が、彼はそれでも足りないらしくどんどん砂を盛る。
「なんだ、城が作りたいのか?」
ルルーシュは苦笑しながら真剣な少年を見たが、この城が彼の手で一朝一夕で作れるとは思えなかった。
「よし、協力してやろう」
 ――けれど、ルルーシュも自分がこういうことに関しては不器用なことをすっかり忘れていた。どちらかと言うと意外だし心外だが、スザクの方が手先の器用さは上なのだ。すっかり小さかった頃三人で作った砂のお城を自分だけで作ったような気になっていたが、よくよく思い出してみれば、ルルーシュは隣に集めた砂を山のように盛っていただけだった。
 ――小さな公園にあった砂のお城のとなりに、その日、大きな山とトンネルが出来た。

 「砂っぽくなったな。ほら、全部脱いで。ああ、こっちに分けて。すぐに洗濯機にいれてしまうから」
日が落ちるまで砂場にいて、水をかけたり熱中していた小さな子供は、すっかり砂まみれになっていた。靴を脱がせば靴の中から砂が大量に出てくる始末で、靴下を先に脱がして玄関に放置したままルルーシュは彼を抱き上げて脱衣所に連れて行った。自分も砂っぽかったが、子供に比べればどうってことはない。そのまま洗い場に入れて、洗うから服を脱げと言うと彼はいそいそと赤い帽子から下着まで脱いでしまった。
「お風呂の使い方はわかるか?」
先に沸かしておけばよかったのだが、そうもいかない。風呂に湯を溜めながら、シャワーの使い方とシャンプーと石鹸を指差したが、彼は頭を指差して首を振る。どうやら頭を一人では洗えないらしい。
「本気で言っているのか?」
こくり、と彼は頷く。ルルーシュは溜め息をつきながら、それでも丁寧に髪を洗ってやった。細かい髪の毛は泡の中にあるとさらに手触りが良かった。それも弟にそっくりだった。
 髪を洗ってやって、体は自分で洗いなさいと言うと、彼は頷いた。その間に洗濯機をかけてしまう。この上、乾燥機をかけたら大分時間がたってしまう。もし、彼に帰る家があって、心配している両親や兄弟がいたとしたら、とルルーシュは時計を見た。何度尋ねても、子供は何も話さなかったし、言いたくないというよりはぼんやりと何かを考えているようだった。もしかしたら喋れないのだろうかと思ってそれも尋ねてみたが、彼は首を振った。
 (虐待でもされているのだろうか……)
ざっと先ほど風呂に入る前に見た子供の裸には大きな青タンが背中にひとつあるくらいで、特にはケガをしていなかった。それこそが虐待の痕だと言うのならそうだが、あのくらいの子供なら遊んでいるうちに背中を打ちつけた、と言っても通じるくらいのもので、現にナナリーも昔足が動いた頃、あのくらいの痣はいくつも作って、マリアンヌを心配させていた。何度も母がルルーシュに注意するようにと言ってきたので覚えている。ルルーシュは懐かしいな、と笑んだ。ブリタニアの王宮に住んでいた頃、カーペットの上に寝転ぶナナリー、それを止める自分――時々そこにロロの姿が紛れ込むが、あの頃ロロに出会っているはずがないから、これは憎い父のギアスの影響だろう。それでも、懐かしく愛おしい気持ちでそれを思い出すルルーシュがいる。
 風呂に浸かっていた子供を二十分きっかりでもう上がりなさい、とバスタオルにくるんだ。全身を拭いてやると、彼はにこりと笑む。
「何か、悩んでいることがあるのか?」
そうでなければあんなところで横にならないだろう、とルルーシュは思う。お節介なのは百も承知だったが、そう言わなければならない気がした。
「俺が、力になれるのなら、なってやる」
どうせ乗りかかった船だと思う。他人の世話をするのは嫌いな方でもなかった。何しろ、手のかかる妹と弟がいた。生徒会の仲間達は一癖も二癖もあった。背負い込む子供がひとり増えたところで重荷には思わない。
 彼はその言葉に少しだけ考えていて、あ、と声を出した。ルルーシュは今日初めて聞いた子供の声に、瞬いた。
「お前、話せたのか」
「……忘れてた」
「?」










200900217『tune.2』